スコットランド・ストリート・スクール博物館

マーカーはスコットランド・ストリート・スクール博物館です。

スコットランド・ストリート・スクール博物館
[チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928)は、20世紀のスコットランドを代表する建築家であるばかりでなく、世界的な装飾様式であるアールヌーボーのデザイナーで芸術家でもあり、現在、グラスゴーに残されている彼の作品はいまだに新しさを保っている。とくに 1890 年代から 1920 年代にわたる作品群は、チャールズ・レニー・マッキントッシュ協会(CRMS、クイーンズクロス教会に本部)が保存・管理している。マッキントッシュの後期の代表的な作品に、印象的な鉛ガラスの塔を持ち、壮麗なタイル張りの玄関ホールや、独自の石組みにより、光と空間の相互作用を味わうことができるスコットランド・ストリート校(1904 年建築、1990年に修復され、現在は博物館)がある。
スコットランド・ストリート・スクール博物館は、1872 年以来のスコットランドにおける教職の歴史を展示している。ビクトリア時代第二次世界大戦期、50 年代、60 年代の学級が再現され、スコットランドにおける教育の歴史がわかる。さらに大都市のみならず地方における学校の歴史も展示され、双方向メディアや写真検索データベースも設置されている。  (「グラスゴーのスコットランド・ストリート・スクール博物館 – nifty」より)]

スコットランド・ストリート・スクール・ミュージアム – Google Map 画像リンク

カメラ南方向がスコットランド・ストリート・スクール博物館です。

階段廊下のカメラ

教室内のカメラ

チャールズ・レニー・マッキントッシュ
[チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh, 1868年6月7日 – 1928年12月10日)は、スコットランドの建築家、デザイナー、画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。
チャールズ・レニー・マキントッシュは1868年6月7日、警察官の父ウィリアム・マッキントッシュと母マーガレット・レニーの四男としてスコットランド、グラスゴーに生まれた。幼少の頃より足と目に障害を持っていたが、スコットランドの風土に触れる機会には恵まれ、多くのスケッチを描いた。
16歳の時(1889年)に、グラスゴーの建築家ジョン・ハッチソンの下に弟子入りし、同時にグラスゴー美術学校の夜間部にデザインとアートの勉強をのため入学。在学中には多くの学校賞を受賞。後の妻となるマーガレット・マクドナルド、その妹であるフランセス・マクドナルド、そしてハニーマン&ケッピー事務所での同僚でもあるハーバート・マックニーと出会っている。チャールズを含むこの4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドンウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至った。いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われる。
1889年、ジョン・ハッチソンの事務所から、ハニーマン&ケッピー設計事務所(1901年以後は、マッキントッシュのパートナーとなる。)に移り、製図係として働く。1890年、アレクサンダー・トムスン旅行奨学金に応募しこれを獲得。翌1891年イタリア旅行に出かける。
27歳の若さで、母校でもあるグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペに優勝。グラスゴーのティー・ルーム(Willow Tea Room)のインテリアデザイン、ヒル・ハウスの設計などをした。
当時、建築家としての名声が得られなかったマッキントッシュは、建築の仕事がなくなってしまい、後年南フランスに移り水彩画家に転向した。
1928年、喉の癌のためにロンドンで死去。クライズデール銀行が発行する100ポンド紙幣に肖像が使用されている。
作品・建築
ライトハウス(1893年)
グラスゴー芸術学校(1899年)
クイーンズ・クロス・チャーチ(1897年)
デイリー・レコード・ビルディング(1900年)
ハウス・フォー・アート・ラバー(1900年、実現せず、1996年建設)
ウィロー・ティルーム(1903年)
●ヒルハウス(1904年)
マッキントッシュ・ハウス(フロレタイン・テラス)[1906年、現・ハンタリアン・アート・ギャラリー]
●グラスゴー美術学校 図書館(1909年)  (wikipedia・チャールズ・レニー・マッキントッシュより)

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