コインブラのディニス1世像

マーカーはディニス1世像です。

コインブラ大学設立と変遷
[コインブラ大学は1290年にディニス1世(在位:1279年 – 1325年)によって設立されたが、当初はリスボンにあるストゥディウム・ゲネラーレだった。ポルトガル初の大学を創ろうという努力は、少なくとも1288年から行われていたが、大学設置を告げる勅許「スキエンティアエ・テサウルス・ミラビリス」(Scientiae thesaurus mirabilis) は、1290年3月1日付で出された。この大学はポルトガルにとどまらず、イベリア半島全体でもこの種の機関として最古のものである。時のローマ教皇ニコラウス4世による承認も、同じ年の8月9日に与えられた。教皇の教書の認可に従い、神学を除く「合法的な」全ての学部、つまり、人文学部、法学部、教会法学部、医学部が最初に設置されたのである。しかし、この大学はリスボンに長くとどまることはなかった。当時、教会と政治権力の間にはいくぶんの緊張関係が見られ、教会からの解放を求める動きがあった上、市民と学生が衝突することもあったので、1308年にコインブラへの大学移転が行われた。
コインブラは少し前にリスボンに遷都するまで首都の地位にあった歴史ある都市であり、12世紀創建のサンタ・クルース修道院に併設されていた学校が大いに成功していたことから、すでに教育面でも長い伝統を有していた。コインブラに移転した大学は、現在のコインブラ大学総合図書館(University of Coimbra General Library)がある辺りの「エストゥドス・ヴェリョス」(Estudos Velhos) として知られる場所に建っていた。1338年、アフォンソ4世(在位:1325年 – 1357年)の時代に、大学は一度リスボンに戻されたが、1354年に再びコインブラへと移転された。 フェルナンド1世(在位:1367年 – 1383年)が君臨していた1377年に、大学はまたもリスボンへ移され、150年以上にわたってそのままとなった。
1537年、ジョアン3世(在位:1521年 – 1557年)の時代に、大学はみたびコインブラに戻され、それ以降は他の都市に移転することは無かった。移転の背景としては、影響力を強めていた大学を首都から隔離する意図があったとされる。  (wikipedia・コインブラ大学-アルタとソフィアより)]

Estátua de Dom Dinis – Google Map 画像リンク

カメラ西方向がディニス1世像です。

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