コインブラ市庁舎

マーカーはコインブラ市庁舎です。

コインブラ
[コインブラ(Coimbra [ˈkwĩbɾɐ])はポルトガルの都市および地方自治体。人口は約15万人、面積は約319.4km2。16の自治体、面積約3372km2が集まってコインブラ大都市圏を構成しており、その総人口は43万人以上。バイシュ・モンデーグ地域の中心都市で、コインブラ県の県都でもある。セントロ地方(Região Centro)で最も大きな街である。市外から大学に通う学生たちも多い。
リスボン大都市圏、ポルト大都市圏に次ぐ重要な地域であり、セントロ地方の都市を束ねる役割を果たしている。1139年から1255年までポルトガルの首都で、古代ローマ時代にはアエミニウムと呼ばれ、当時の遺跡が今でも残る。1290年にコインブラ大学が設立されたことによって、ポルトガルの文化的中心地に発展した。コインブラ大学はヨーロッパで最も古い大学のひとつで、観光客も多い。
コインブラは古代ローマ時代にアエミニウム(Aeminium)と呼ばれた。コインブラから南に約15kmにあるコニンブリガ考古遺跡は、イベリア半島に残る最大規模の都市遺跡であり、かつてはケルト人の集落であったが、1世紀にローマ人によって都市が建設された。属州ルシタニアの中心として繁栄を極めたが、5世紀の西ゴート族の進入によって破壊され、この地域の政治の中心はアエミニウムに移った。西ゴート王国時代には、コインブラは、エミニオ(Emínio)と呼ばれるようになった。
711年、ウマイヤ朝がイベリア半島に侵攻を開始するとコインブラは、イベリア半島北部のキリスト教世界と半島南部のイスラム世界を結ぶ商業の中心地となった。1064年、コインブラは、レコンキスタを展開したフェルナンド1世によってムスリムから奪回された。コインブラを中心としたコインブラ伯領が設置され、モサラベの貴族シスナンド・ダヴィーディスによって統治されたが、後にポルトゥカーレ伯領に組み込まれた。カスティーリャ王国から独立を達成したアフォンソ・エンリケス(初代ポルトガル王アフォンソ1世在位:1139年 – 1185年)は、王国の首都をコインブラに定め、1255年までブルゴーニュ王朝ポルトガル王国の首都であった。
コインブラの発展は、1290年に創設されたコインブラ大学が寄与するものが大きい。現在のコインブラには、当時からの建築物が多く残されている。
コインブラの旧大聖堂は、アフォンソ1世によって建築されたポルトガルに唯一残るロマネスク建築であり、第2代国王サンショ1世(在位:1185年 – 1211年)は、ここで、戴冠式を挙げている。
また、ポルトガルにおける宗教史において重要な役割を果たしているサンタ・クルース修道院もこの時代に建設が始まった。サンタ・クルース修道院は、16世紀に大幅な改築が施されており、美しいアズレージョで飾られている。
中世には、コインブラは2つに分けられた。貴族と聖職者が住むアルタ・アルメディーナ地区と川沿いの、商工業者が多く住むバイシャ地区である。街は今日アルメディーナ門として残る城壁で囲まれていた。ゴシック建築で知られる旧サンタ・クラーラ修道院は、14世紀前半、ディニース1世(在位:1279年 – 1325年)の王妃イザベルによってモンデーゴ川左岸に建てられた。旧修道院は川に近く、頻発する氾濫に悩まされ、17世紀、丘の上に新サンタ・クラーラ修道院が建設されるにあたって放棄され、王妃の荘厳なゴシック式霊廟も新修道院に移された。旧修道院は最近になって発掘され、川の左岸の浅瀬で見ることができる。  (wikipedia・コインブラより)]

COIMBRA TOWN HALL – Google Map 画像リンク

カメラ東方向がコインブラ市庁舎です。

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