ジョアン3世像

マーカーはジョアン3世像です。

ジョアン3世
[1537年、ジョアン3世(在位:1521年 – 1557年)の時代に、大学はみたびコインブラに戻され、それ以降は他の都市に移転することは無かった。移転の背景としては、影響力を強めていた大学を首都から隔離する意図があったとされる。大学はコインブラのアルカソヴァ宮殿に置かれ、教員や全蔵書を含む大学に関する全てがリスボンから移ってきた。ジョアン3世は、前世紀にイタリアで生まれた新しい理念を導入することを試みた。彼はポルトガル人が留学するための奨学金を創設し、ポルトガルの人文主義者で当時パリにいた博識のアンドレ・デ・ゴウヴェイア(André de Gouveia)をコインブラ大学のコレジオ・ダス・アルテス(Real Colégio das Artes e Humanidades / Colégio das Artes, 1542-1837) の学寮長に任命した。ゴウヴェイアは、神学のエリ・ヴィネ(Élie Vinet)、数学のペドロ・ヌネシュ、法学や古典学のディオゴ・デ・テイヴェ(Diogo de Teive)など、多くの教授たちを招聘した。
この時期の大学はイエズス会に委ねられており、前出のコレジオ・ダス・アルテスをはじめ、コレジオが次々と設立された。それらは19世紀には閉校されることになるが、かつてソフィア通りには、そうしたコレジオとその教会がいくつも存在していた。  (wikipedia・コインブラ大学-アルタとソフィアより)]

Estátua de D. João III – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向がジョアン3世像です。

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