マーカーはWasserkirche(水の教会)です。
Wasserkirche(水の教会・英語:Wasserkirche、ドイツ語:Wasserkirche)
[チューリッヒにあるWasserkirche(水の教会)は、リマト川の小さな島の上に構築された教会で、グロスミュンスターと聖母教会とのチューリッヒ中世の主要な2つの教会の間に位置しています。この地はチューリッヒの守護聖人フェリックスとレギュラの埋葬地である。ローマ帝国では強制的な改宗を迫る等々キリスト教徒への抑圧が行われた時代、ディオクレティアヌス帝(284~305年)のローマ軍と286年にテーベ軍団は戦ったがそのときの生き残りのフェリックスとレギュラ(兄と妹)がやっとのおもいで逃れてやってきたのがこの地。しかし二人はここで斬首された。地下に’殉教者(フェリックスとレギュラ)の石が残っている。
最初の教会は、10世紀に建てられた。そして、様々な段階で再構築され、1486年に現在の形が完成した。宗教改革の過程で、Wasserkircheは、偶像崇拝の場として識別され、宗教から分離された。1634年にチューリッヒの最初の公共図書館となり、1833年のチューリッヒ大学の設立に大きく貢献する、勉学の拠点となった。教会(島)は1839年にリマト通りの建設でリマト川の右岸に接続された。
図書館は、1917年 チューリッヒ中央図書館に吸収合併されました。そして、建物の復興作業や考古学的発掘が1940年に実施されるまでの間、作物の貯蔵室として使用されました。その以降、建物は再びチューリッヒのカントン(州)の福音改革派国教会によって使用されています。
Wasserkircheに隣接するヘルムハウスは、教会の北に拡張したものです。まず、刑事司法裁判所として1253年に記載されている、 その時点で、ヘルムハウスは橋の東端をカバーするシンプルな木製の構造であった。ヘルムハウスは、1563年に大規模な木造構造に拡張され、1791年に石造りのホールに改築されました。
Stadthausquaiから見たグロスミュンスター(左)とヘルムハウス(中)とWasserkirche(右)・wikipedia-photo、「1770年のグロスミュンスター、ヘルムハウスとWasserkirche」・wikipedia-photo、Münsterbrückeから見たヘルムハウス・wikipedia-photo、グロスミュンスターから見たヘルムハウスとWasserkirche・wikipedia-photo、地下室のいわゆる’殉教者(フェリックスとレギュラ)の石棺’・wikipedia-photo]
Wasserkirche(水の教会)平面図・断面図
カメラ西北西方向、南側がWasserkirche(水の教会)で北側がヘルムハウスです。
カメラ位置はミュンスター橋中央で、カメラ東南東方向がヘルムハウス(北側)とWasserkirche(水の教会)です。
Wasserkirche(水の教会)のストリートビューです。
Wasserkirche(水の教会)身廊のストリートビューです。
地下室のいわゆる’殉教者(フェリックスとレギュラ)の石棺’のストリートビューです。