牢獄塔の門

マーカーは牢獄塔の門です。

牢獄塔の門(Käfigturm)
[牢獄塔の門の最初の塔は、1256年ピーター2世の命令で、第二の都市の門塔として建設された、古い要塞の一部だった。塔は老朽化し1641~1644年に再構築され、牢獄となり1897年まで使用され、このため牢獄塔の門と名がついている。その後、国立公文書館や情報センターとして、使用されました。
牢獄塔の門・wikipdia-photowikipdia-photo、1902年の牢獄塔の門・wikipdia-photoGeorges_Stein作(牢獄塔の門)・wikipdia-photo]

[シュピタール通りを進んでいくと、大きな広場と交差する。ここはベーレン広場。ベルンの町のへそと言える場所だ。広場には毎日いろいろな屋台が店を広げ、大道芸人が繰り出し、たくさんの買い物客で賑わっている。広場に面して立っているのが牢獄塔。1256年に町が拡張された時から約1350年までの100年間、この塔(門)が町の西端だった。1641年~1897年まで実際牢獄として使用されてきたが、現在はイベント会場になっており、内部は自由に見学できる。塔の下をくぐってさらに進むと、シュピタール通りからマルクト通りに名前が変わる。マルクト通りには、アンナザイラーの噴水、射手座の噴水があり、さらに進むといよいよ有名な時計塔が見えてきた。  (「首都ベルンは世界遺産」より)]

ベルン・ファスナハト(カーニバル)
[中世の時代、大規模なファスナハト(カーニバル)がおこなれていたベルン宗教改革により禁止された伝統が復活したのは1982年のこと。現在では、毎年、灰の水曜日の後の木曜日から土曜日(日曜の夜)まで開催される、スイスで3番目に大きなカーニバルとなっています。木曜日。牢獄塔(ケーフィグトゥルムKäfigtrum)に囚われたベルンのシンボルである熊を、“イーヒュブレッテYchüblete”と呼ぶ太鼓の音で冬の眠りから目覚めさせ、開放するところから祭りがスタート。世界遺産に認定されたベルン旧市街の小道は、冬の寒さも吹き飛ばすような “グッゲンムジーク Guggenmusik”の楽隊の大音響と、華やかな仮面や衣装をまとったパレードの一団にうめつくされます。金曜日はかわいい子供たちのパレード。土曜日の午後は祭りのハイライトである大パレードです。60〜70のグループが旧市街を練り歩き、約5万人の観客が一緒に盛り上がります。その後、大きなコンサートや各所で演奏やパフォーマンスなどがあり、祭りの喧噪は深夜遅くまで続きます。  (「海外最新情報 – 時計美術宝飾新聞社」より)]

Käfigturm – Google Map 画像リンク

カメラ方向が牢獄塔の門です。

カメラ東方向が牢獄塔の門です。

カメラ西方向が牢獄塔の門です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*