オビエド市庁舎、市庁舎広場

マーカーはオビエド市庁舎です。

オビエド市庁舎
[近代都市でもあるオビエドには,ルネサンスバロック,近現代の遺産も見られる.市庁舎は1780年の建設なので.バロックよりも新しいし,スペイン内戦の際に被害を受け,修復されているが,好感の持てるスッキリした古典的な外観に見える。  (「フィレンツェだより番外篇」より)]

カメラ北北西方向右がオビエド市庁舎で、カメラ西北西方向がサン・イシドロ教会です。

オビエド
[711年(または712年)、グアダレーテの戦い(Battle of Guadalete)でアストゥリアスはイスラム教徒に征服された。722年のコバドンガの戦い(Battle of Covadonga)でアストゥリアス王国の伝説的な王ペラーヨがアストゥリアスを奪回し、カンガス・デ・オニスにキリスト教徒の拠点を確保した(最初のレコンキスタ)。
761年ごろ、修道院長マクシムスはオビエドに修道院を建てた。8世紀末のアストゥリアス王アルフォンソ2世(在位:791年-842年)は西ゴート王国(415年 – 711年)の後継を自負し、オビエドを都としてアーヘントレドを模した宮廷・教会組織を作り、司教座を創建し、都を教会や修道院で飾った。
914年、アストゥリアス王国は都をレオンへ遷した。これ以降は、レオン王国(910年 – 1252年)と呼ばれ、のちにアストゥリアスはカスティーリャ王国(1035年 – 1715年)、スペイン王国の一部となった。
近代に入ると、ナポレオンの侵入によって一時荒廃したが、近隣の地下資源を背景に工業都市として発展を遂げた。炭鉱労働者などが多いこともあり、20世紀にはいると労働運動が盛んになった。1934年には、大規模な鉱山労働者の蜂起(アストゥリアス革命(Revolución de Asturias de 1934))が起こったが、のちに独裁者となるフランコ指揮の軍に鎮圧された。1936年に勃発したスペイン内戦(1936年7月 – 1939年3月)においては、北部の重要な工業都市であったことから、反乱軍がこの都市の確保を重視し、早期に制圧された。その後、政府側との激しい攻防が展開されたため、再び街は荒廃した。  (wikipedia・オビエドより)]

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