マーカーはぶどう酒の門(ワイン門)です。
ぶどう酒の門(ワイン門)
[[アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、1232年に建国したイベリア半島最後のイスラム王国であり、グラナダを首都としたナスル朝(1238年 – 1492年)の時代に入ってからである。メディナ出身デアル・アフマド家の血を引くムハンマド1世((Muhammed I ibn Nasr、1232-1273)、および、その子ムハンマド2世(Muhammed II al-Faqih、1273-1302)が60年も歳月をかけ、水道を設置し、アルカサーバの拡張工事を行い、宮殿(14世紀に取り壊され、現在は残っていない。)を造った。その後も歳月と共に建物や塔が建築されていったが、大きな変貌を遂げるのは、ナスル朝の黄金時代を築いたユースフ1世(Yusuf I、1333-1354)とその息子のムハンマド5世((Muhammed V、1354-1359, 復位1362-1391)の時代である。ユースフ1世時代には、城廊では、マチューカの塔、コマーレスの塔、正義の門、スィエテ・スエーロスの門、宮殿ではコマレス宮を中心とする建物が造られた。ムハンマド5世の時代には、城廊では、ぶどう酒の門(城廊のなかでは唯一アラベスク模様の装飾がある。)、宮殿ではライオンの中庭を中心とする建物が造られた。
アルハンブラ宮殿外側から見たぶどう酒の門(ワイン門)
アルハンブラ宮殿側から見たぶどう酒の門(ワイン門)・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、ぶどう酒の門(ワイン門)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・アルハンブラ宮殿より)]
[この門はアルハンブラ・アルタ地区への通用門であり、これは街の中心線であるレアル通りの起点であり、軍事領域と市井の空間の境界線にもなっています。ぶどう酒の門という名前は、1554年から門の内部にあった免税のぶどう酒市場がもとになって付いたという説が一般に受け入れられています。 (「旅行記 ・アルハンブラ宮殿 - スペイン(1)」より)]
「Puerta del Vino – Google Map 画像リンク」
カメラ東南東方向がぶどう酒の門(ワイン門)です。
ぶどう酒の門(ワイン門)内のカメラです。