マーカーはカルロス5世宮殿です。
[Google アートプロジェクト] – 「カルロス5世宮殿」(ヘッダー画像右下のペグマンをクリックするとストリートビューが表示されます。)
カルロス5世宮殿
[1492年、カトリックのレコンキスタ(718年 – 1492年)によってグラナダが陥落(1492年1月6日)するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。グラナダがキリスト教徒の手に渡った直後に、カール5世(スペイン国王・在位:1516年 – 1556年)がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設。当時イタリア留学であったペドロ・マチューカ(Pedro Machuca)が、正方形の建物の中央に、円形の中庭を設けるという設計をし(現在も未完成)、スペインにおける純イタリア様式の成功傑作と称されている。
スペインは、この地を1718年まで城代に管理を任せていたが、カルロス1世(カール5世)の時代に入ると、この宮殿を自らの帝国の支配の中心地にする考えを持っていたと言われており、いくつかの改築が行われている。カルロス5世の噴水や、カルロス5世の宮殿の建設が始まり(宮殿は完成することはなかった)、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されている。
カルロス5世宮殿西ファサード・wikipedia-photo
カルロス5世宮殿中庭・wikipedia-photo
カルロス5世宮殿エントランス・wikipedia-photo
カルロス5世宮殿美術館展示室・wikipedia-photo
カルロス5世宮殿博物館展示室・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、アルハンブラ宮殿(カルロス5世宮殿)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・アルハンブラ宮殿より)]
[「アルハンブラ宮殿、カルロス5世宮殿」・wikipedia-photo、カルロス5世宮殿・wikipedia-photo (wikipedia・グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシンより)]
[アラブ王が去って約50年後に、カルロス5世は王宮に隣接して、ルネッサンス様式の四角い建物の真中に円型の中庭を配した宮殿を建てました。中庭の周囲は2階建の回廊で、1階はドリス式、2階はイオニア式のシンプルなデザインの柱で、イスラム建築とは趣を異にしています。現在1階をアルハンブラ博物館、2階を県立美術館として利用しています。ここは音響効果が優れているため、夏に開かれるグラナダ国際音楽舞踊祭の一会場ともなっています。 (「Granadaのアルハンブラ宮殿, スペイン: Granadaのモニュメント |日本 …」より)]
【 Nasrid Palace ナスリ宮の全体図 】
「むらさきホームページ」より
「カルロス 5 世宮殿 – Google Map 画像リンク」「Museo de Bellas Artes de Granada – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向がカルロス5世宮殿です。
カルロス5世宮殿入口のストリートビューです。
カルロス5世宮殿中庭のストリートビューです。
県立美術館入口のストリートビューです。
ペドロ・マチューカ(Pedro Machuca)作『The Raising of Lazarus』(1519/1521年)
フアン・サンチェス・コターン作『無原罪の御宿り(Inmaculate Conception)』(1617/1618年)
フアン・サンチェス・コターン作、左『洗礼者ヨハネ』(1603/1605年)、右『ケルンのブルーノ』(1603/1605年)
フアン・サンチェス・コターン作『The Virgin awakening Child Christ』(1603/1627年)
Pedro Atanasio Bocanegra作『Christ on the cross』(1670/1689年)
フアン・デ・セビル (Juan de Sevilla Romero)作『The last Communion of Saint Cecily』(1670/1695年)
カメラ初期設定方向中央、Juan Esteban作『Still life with figures』(1606年)
マリアノ・フォルトゥーニ作『The Old Town Hall in Granada』(1873年)