グラナダ市庁舎

マーカーはグラナダ市庁舎です。

グラナダ
[古代
紀元前8世紀からイベリア人(もしくはケルティベリア人)が居住し、「イルトゥリル」という名で呼ばれた。タルテソスの文化と関係を持ち、フェニキア人、カルタゴ人、ギリシア人と接触していた。紀元前193年にローマの支配下に入り、「イリベリス」という名前で呼ばれた。紀元5世紀からは西ゴート王国(415年 – 711年)の支配下に入った。
アル=アンダルス
711年、ウマイヤ朝の指揮官ターリク・イブン・ズィヤードの軍がイベリア半島に上陸し、同年にグラナダも占領された。都市の郊外には「ガルナタ」と呼ばれるユダヤ人のコミュニティーがあり、彼らはターリクによる占領を支援した。これ以降グラナダは15世紀まで約780年の間、イベリア半島のイスラム支配地アル=アンダルスの領域となる。
756年、アブド・アッラフマーン1世(在位:756年 - 788年)がコルドバを都として後ウマイヤ朝(756年 – 1031年)を建国した。グラナダはアル=アンダルスの中でも重要な都市の1つとなり、「イルビラ」または「エルビラ」と呼ばれた。後ウマイヤ朝が衰えた11世紀始め、内戦のために都市が破壊されたのち、ズィール朝(973年 – 1148年)の一族がこの地を征服し、1013年にタイファ諸国の1つであるグラナダ王国(1023年 – 1091年)として独立した。都市は再建され、郊外の「ガルナタ」の位置(現在のアルバイシンを含む丘陵)に移動した。
グラナダは11世紀末にムラービト朝(1040年 – 1147年)に、12世紀半ばにムワッヒド朝(1130年 – 1269年)に征服されたが、都市は発展を続けた。1212年、ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド軍がキリスト教諸国連合軍に大敗してからは、アル=アンダルスは混乱に陥り、諸都市の支配者は互いに抗争を続けた。1236年、コルドバはカスティーリャ王国フェルナンド3世(在位:1217年 – 1252年)によって陥落した。
ナスル朝
1232年、アンダルスの支配者の一人、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル(アル・アフマル)は王を名乗り、1238年にグラナダに王国(ナスル朝・1232年 – 1492年)を建国した(ムハンマド1世(Mohammed I ibn Nasr))。1246年、ムハンマドはフェルナンド3世と条約を結び、カスティーリャに臣従して貢納する代わりに、グラナダ、マラガアルメリアを保有することを許された。
ナスル朝グラナダ王国は、イベリア半島における最後のイスラム王朝として約250年間存続し、経済・文化が繁栄した。アルハンブラ宮殿は、ナスル朝時代に建てられたもので、イスラム建築の傑作と評価される。しかし、15世紀末にカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となると、ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡した。
レコンキスタ後
他宗教にも寛大であったナスル朝のグラナダには、当時キリスト教世界で弾圧されていたユダヤ人も多く存在していた。しかし、レコンキスタ完了後は、キリスト教徒によるユダヤ人の虐殺が行われ(スペイン異端審問)、多くのユダヤ人がイベリア半島から去った。そうしたユダヤ人は、オスマン帝国(1299年 – 1922年)などで保護され、経済発展を支える一勢力になる。  (wikipedia・グラナダより)]

Oficina Municipal de Turismo de Granada – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向がグラナダ市庁舎です。

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