マーカーはサンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)です。
サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)
[1492年、カトリックのレコンキスタによってグラナダが陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。グラナダがキリスト教徒の手に渡った直後に、カール5世_(神聖ローマ皇帝)がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設。当時イタリア留学であったペドロ・マチューカ(Pedro Machuca)が、正方形の建物の中央に、円形の中庭を設けるという設計をし(現在も未完成)、スペインにおける純イタリア様式の成功傑作と称されている。
スペインは、この地を1718年まで城代に管理を任せていたが、カルロス1世(カール5世)の時代に入ると、この宮殿を自らの帝国の支配の中心地にする考えを持っていたと言われており、いくつかの改築が行われている。カルロス5世の噴水や、カルロス5世の宮殿の建設が始まり(宮殿は完成することはなかった)、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されている。
サンフランシスコ修道院・wikipedia-photo、wikipedia-photo、wikipedia-photo
サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)出入り口門・wikipedia-photo
サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)外観・wikipedia-photo
サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)回廊・wikipedia-photo
サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ)庭園・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、アルハンブラ宮殿(サンフランシスコ修道院(現パラドール・サンフランシスコ))の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・アルハンブラ宮殿より)]
[グラナダの町を丘の上から見下ろすアルハンブラ宮殿。その宮殿に隣接したパルタル庭園内のモスクを改装したフランシスコ派修道院が、現在パラドールとして使われている。ムデハル様式のミナレットに起源を持つ鐘楼はルネサンスをベースにしたつくりだが、噴水やパティオはイスラム時代のままだ。 (「Parador San Francisco -The Mediterranean Life /地中海生活」より)]
カメラ東方向がサンフランシスコ修道院エントランスです。