パルタル(貴婦人の塔、庭園)

    パルタル(貴婦人の塔、庭園)
    [「パルタル庭園」(Jardines deI Partal)は、「貴婦人の塔」(Torre de las Damas)を背景に池と花々が美しい明るい庭園です。  (「Granadaのアルハンブラ宮殿, スペイン: Granadaのモニュメント |日本 …」より)]

    [このパルタル庭園とパルタル宮殿を建てたのは、ナスル朝(1232年 – 1492年)グラナダ王国の初代ムハンマド1世(Muhammed I ibn Nasr、1232-1273)の孫に当たる3代目のムハンマド3世(Muhammed III、1302-1309)だった。西暦1302年に即位したムハンマド3世は、キリスト教徒のカスティーリャ王国(1035年 – 1715年)と講和し、アフリカ北部のイスラム教徒マリーン朝(1196年 – 1465年)と戦おうとした。ところが、それに不満を抱いた弟のナスル(Nasr、1309-1314)によって西暦1309年に王位を奪われてしまった。  (「アルハンブラ宮殿のパルタル庭園と古都グラナダのアルバイシン遠望 …」より)]

    [ライオン宮からナスル朝宮殿の出口を出れば、その東に広がるのがパルタルの庭(Partal )で、貴婦人の塔のほか、住宅、宮殿、街路、消滅した貯水槽の名残を見ることができます。ここはかつては、優雅な邸宅や豪華な宮殿が建ち並ぶ緑地でした。池を従えた小さな平地に建つ貴婦人の塔の柱廊はアラビア語でパルタル(屋根つきの柱廊)とよばれ、庭一帯がそう呼ばれるようになりました。貴婦人の塔は、前面の池とともに、この地域で唯一保存されているムハンマド3世(1302年~1309年)治世の建造物であり、それゆえ昔存在した宮殿の名残りであろうと考えられています。
    貴婦人の塔の南側にユースフ3世宮殿跡が広がります。 ユースフ3世宮殿は、1718年に立ち退き、そして取り壊されるまではアルハンブラの総督府であって、ユースフ3世(在位:1408年~1417年)によっていまだナスル朝華やかなりし頃に建造されました。中央に池のある中庭の両脇に建物が立つという構図が多用されていました。現在、西側には宮殿に附随した住宅住居の名残りが、東側には2つの水槽とともに浴場の跡が残されています。パルタルの庭園は、北側の城壁に沿って、現在のアルハンブラからヘネラリーフェへのアクセス地点まで散歩道となって延長されています。  (「旅行記 ・アルハンブラ宮殿 - スペイン(1)」より)]

    パルタル(貴婦人の塔、庭園)・wikipedia-photo

    パルタル(貴婦人の塔、庭園)・wikipedia-photo

    ウィキメディアコモンズには、アルハンブラ宮殿(パルタル(貴婦人の塔、庭園))の画像またはその他のファイルが含まれています。

    【 Nasrid Palace ナスリ宮の全体図 】(「むらさきホームページ」より)

    [アルハンブラ宮殿のパルタル庭園・wikipedia-photo]

    El Partal – Google Map 画像リンク」「Torre de las Damas – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向がパルタル庭園です。(【 Nasrid Palace ナスリ宮の全体図 】の㉒です。)

    カメラ位置はパルタル庭園の北側です。(【 Nasrid Palace ナスリ宮の全体図 】の㉑です。)

    カメラ位置はユースフ3世宮殿跡です。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    *