メスキータ(大聖堂)

マーカーは大聖堂です。

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メスキータ(大聖堂)
[1236年、カスティリャ王フェルナンド3世(在位:1217年 – 1252年)によりコルドバが征服(1236年6月29日)されるとメスキータはキリスト教礼拝堂として使われ始める。16世紀に入り、カール5世(スペイン国王・在位:1516年 – 1556年) により、メスキータ中心部に身廊が増築され、大聖堂が建設されることによってメスキータは大きな転機を迎える。求心的なカソリックの祈りの空間がこの空間に挿入される。  (wikipedia・メスキータより)]

[中心部分は長方形に仕切られキリスト教のカテドラルになっており、この改造にあたって教会側は、地元の反対をかわすために当時の王カルロス5世の認可を得ました。しかし、当のカルロス5世はこの工事現場をたまたま通り、「世界のどこにでも有るような物を造るために、どこにも無い物を壊した」と嘆いたと伝えられます。この改築工事は着工から240年余りかかり、様式もゴシック建築ルネッサンス建築バロック建築と移り替わり、建物自体は素晴らしく立派なものですが、カテドラルがメスキータの真只中にあるというのが何とも奇妙で、回教寺院の中にキリスト教がこのように堂々と共存する例は他にはなく特異な存在です。  (「コルドバ – スペインing」より)]

[レコンキスタ(キリスト教徒の国土回復運動・718年 – 1492年)でメスキータを大聖堂に転用しようとする。当初は,現在のビジャビシオサ礼拝堂のように,従来の建築美を壊さない配慮がなされていたが,16世紀になって行われた大改造では石柱多数を取り除き,中心部に祭壇や聖歌隊席などからなる大聖堂を作った。
国王カルロス一世は,後にこの聖堂を訪れ,「どこにでも作れる建物のために,世界に一つしかない建物を壊してしまった」と,現場を見ずに工事許可を与えたことを嘆いたという。それでも,大改造で建築主任を務めたエルナン・ルイス親子(エルナン・ルイス老エルナン・ルイス若)がメスキータの価値を認識し,設計施工に苦心したおかげで,被害は最小限に抑えられ,現在の姿をとどめているのだと伝えられている。  (「石柱の森のメスキータ,宗教に共存はあるか?(スペインの旅-4)」より)]

コルドバのメスキータ-大聖堂 – Catedral de Córdoba

メスキータ見取り図

Cabildo “Catedral de Córdoba” – Google Map 画像リンク

大聖堂・中央祭壇北側のストリートビューです。

大聖堂・中央祭壇南側のストリートビューです。

中央祭壇前のストリートビューです。

身廊・聖歌隊席のストリートビューです。

身廊・聖歌隊席西側のストリートビューです。カメラ北北西方向がシュロの門です。

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