メスキータ

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メスキータ(アルミナールの塔)メスキータ(免罪の門、サンタ・カタリナの門、デァネスの門、オレンジの中庭)メスキータ(シュロの門)メスキータ(大聖堂)メスキータ(サン・パブロ礼拝堂、王室礼拝堂、ヴィジャヴィシオサ礼拝堂)メスキータ(サン・ヴィセンテ博物館)メスキータ(ミフラーブ)メスキータ(サンタ・テレサ礼拝堂、宝物殿)メスキータ(サグラリオ教区教会)

メスキータ
[メスキータ'(mezquita)とは、スペイン語モスクという意味で、アラビア語مسجد (“Masjid”)に由来する。しかし、一般的には固有名詞として、スペインアンダルシア州コルドバにあるカトリック教会司教座聖堂「コルドバの聖マリア大聖堂(Catedral de Santa María de Córdoba)」を指す場合が多い。メスキータ(Mezquita)は「モスク」(ひざまずく場所)、ムスリム(回教徒)の礼拝堂の意味で、スペインに現存する唯一の大モスクである。ウマイヤ朝(661年 – 750年)の再興王朝となる後ウマイヤ朝(756年 – 1031年)を創設したアブド・アッラフマーン1世(‘Abd al-Rahman I・在位:756年 - 788年)は、グアダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国(415年 – 711年)時代には聖ヴィアンテ教会があった神聖な場所(現在ではメスキータ内部に一部その遺構が公開されている)であった。785年、イスラム教の寺院としてアブド・アッラフマーン1世時代に建設された。その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教キリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。最終的には16世紀、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世、ただしスペイン国内ではカルロス5世とも呼ばれる。スペイン国王・在位:1516年 – 1556年)の治世にモスク中央部にゴシック建築ルネサンス建築の折衷の教会堂が建設され、現在のような唯一無二の不思議な建築物として成立を見た。現在、この聖マリア大聖堂は世界遺産に登録されている。
歴史
●6世紀〜7世紀 – 西ゴート王国の聖ビセンテ教会の地であった。
●711年 – 後ウマイヤ朝の西ゴート王国征服成る。教会の半分をモスクとする。
●784年 – コルドバの初代アミールアブド・アッラフマーン1世の命により、コルドバ教会の所有部分を買い取り、王宮に隣接するモスクとして建設工事がスタート。妃の名をとってAljama Mosqueと名付けた。(第1次建設部分)
アブド・アッラフマーン3世(889-961) がミナレット(塔)の建設を命ずる。
●961年 – ハカム2世の命により、拡張工事が実施され、ミフラーブも拡張される。
●987年 – アル・マンスール・イブン・アビ・アーミル(Al-Mansur_Ibn_Abi_Aamir)により拡張工事、現在のメスキータの形となる。
●1236年 – カスティリャ王フェルナンド3世の軍によりコルドバ征服。モスクはカトリックの教会に転用される。
●カルロス1世(1500-1588) により、メスキータ中心部に身廊が増築される。
コルドバの聖マリア大聖堂・wikipedia-photo、コルドバの聖マリア大聖堂・wikipedia-photo、グアダルキビール川対岸からメスキータを臨む・wikipedia-photowikipedia-photo、外壁装飾・wikipedia-photowikipedia-photo  (wikipedia・メスキータより)]

コルドバのメスキータ-大聖堂 – Catedral de Córdoba

メスキータ見取り図

メスキータ – Google Map 画像リンク

カメラ位置はメスキータの北西角です。

カメラ位置はメスキータの北東角です。

カメラ位置はメスキータの南東角です。

カメラ位置はメスキータの南西角です。

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