ビエドラ橋(エブロ川)

マーカーはビエドラ橋(エブロ川)です。

ビエドラ橋(エブロ川)
[サラゴサはウエルバ川が合流するエブロ川中流にります。そのエブロ川に架かる橋の一つがビエドラ橋でこの橋からヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂の眺めが良く、特に夜景の眺望が最高です。]

[Puente de Piedra プエンテ デ ピエドラとは石橋の意です。ピエドラ橋は共和制ローマ時代に橋があった場所に、15世紀前半に建設されたゴシック様式の橋です。7つのアーチからなります。1643年に川の増水により、アーチ部分が2つ流れてしまったことが文献に残っています。橋の両端には20世紀に追加された、サラゴサ市のシンボル、ライオンの像があります。  (「15世紀に建設された、エブロ川に架かる一番古い橋」より)]

エブロ川
[エブロ川(スペイン語:Ebro / カタルーニャ語:Ebre IPA:[ˈeβɾə])は、スペイン北東部を流れるスペインで最も流量が多く2番目に長い川である。水源はカンタブリア州のフォンティブレ(Fontibre)にあり、ミランダ・デ・エブロログローニョ、サラゴサ、トゥルトーザおよびアンポスタを流れ、タラゴナ県地中海に注ぐ。
サラゴサ市街・wikipedia-photo  (wikipedia・エブロ川より)]

Stone bridge – Google Map 画像リンク

カメラ位置はビエドラ橋で、カメラ方向に見えるのがヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂とサラゴサ市役所で、市役所の南が取引所「ラ・ロンハ」になります。

共和制ローマ時代のサラゴサ
[サラゴサでの最古の定住地は、紀元前7世紀のものである。紀元前3世紀頃、イベリア人の一部族であるサルドゥイエ族(Salduie)が現在のサラゴサを中心として暮らしていた。近隣のイベリア人たちがカルタゴと同盟して第二次ポエニ戦争を戦ったのとは対照的に、サルドゥイエ族は共和制ローマに協力した。
ローマ帝国時代に植民市としてアウグストゥス帝により”カエサラウグスタ”という名で建設された。紀元2世紀には最盛期を迎え、ローマ浴場や劇場などの公共施設が建てられ、今に残されている。3世紀にはローマの「3世紀の危機」によって、城壁が建設される代わりに公共施設は衰えた。  (wikipedia・サラゴサより)]

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