ローマ時代の城壁

マーカーはローマ時代の城壁です。

ローマ時代の城壁
[サラゴサでの最古の定住地は、紀元前7世紀のものである。紀元前3世紀頃、イベリア人の一部族であるサルドゥイエ族(Salduie)が現在のサラゴサを中心として暮らしていた。近隣のイベリア人たちがカルタゴと同盟して第二次ポエニ戦争を戦ったのとは対照的に、サルドゥイエ族は共和制ローマに協力した。
ローマ帝国時代に植民市としてアウグストゥス帝により”カエサラウグスタ”という名で建設された。紀元2世紀には最盛期を迎え、ローマ浴場や劇場などの公共施設が建てられ、今に残されている。3世紀にはローマの「3世紀の危機」によって、城壁が建設される代わりに公共施設は衰えた。
409年ごろからスエビ族西ゴート族などのゲルマン人イベリア半島に侵入を始めた。サラゴサはその頑丈な城壁によって持ちこたえたが、472年、西ゴートの王エウリック配下の部隊によって陥落した。ガリアから西ゴート族を退けた後の541年、フランク王キルドベルト1世(Childebert_Ier)とクロタール1世はガリア南部へ侵攻し、サラゴサを包囲した。包囲は2ヶ月に及び、住民は投降できず、やがて飢餓が始まった。言い伝えによれば、サラゴサ住民は都市をフランク族から守り抜くことを誓い、サラゴサの聖ビセンテの奇跡を表すチュニックを身につけて外出をしていた。当時既にカトリックに改宗していた2人のフランク王たちは、聖ビセンテの肩掛けをもらう交換条件として、包囲を解いた。  (wikipedia・サラゴサより)]

Murallas Romanas – Google Map 画像リンク」「Monumento a César Augusto – Google Map 画像リンク

カメラ東方向がローマ時代の城壁です。

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