アルカサル

マーカーはアルカサルです。

アルカサル
[ローマ時代に宮殿があった場所で、アルフォンソ6世[レオン王国の王(在位:1065年 – 1109年)、カスティーリャ王国の王(在位:1072年 – 1109年)]やアルフォンソ10世(在位:1252年 – 1284年)の時代に改築され、16世紀に今の形になった。  (wikipedia・トレドより)]

[この町で最も高い548メートルの丘に建ち、真っ先に視野に飛び込む長方形の孤高の巨塊がアルカサルです。人々の居住区からは離れたところにある点でも、 他の史跡とは異なっています。残された内部構造から、古代ローマ時代やイスラム時代(ウマイヤ朝・661年 – 750年、後ウマイヤ朝・756年 – 1031年)から常に要塞としての役割を果たしてきたことが分かります。
現在の建物は、皇帝カルロス5世(神聖ローマ皇帝・在位:1519年 – 1556年、スペイン国王・在位:1516年 – 1556年)が、帝王にふさわしい邸宅となるよう命じられて造らせたものです。そのため、アラブ式ファサードには銃眼胸壁が残されてい るものの、中世の城としての機能は取り払われました。どのファサードにも、スペイン風ルネサンスの豊かな様式が表われています。
1545年、建築家アロンソ・デ・コバルビアスが最初に設計しましたが、パティオはヴィジャルパンドがパティオの設計に参加し、最終的にはフアン・デ・エレラが半円形の丸天井下の大階段と南翼部の改築を担いました。
正面入り口は、建築家コバルビアスの作品です。切り妻屋根型のフロントンには西ゴート王国(415年 – 711年)のレカレド(在位:586年-601年)、レセスビント(在位: 653-672)両王のレリーフに囲まれた王家の紋章があり、浮き上げ装飾で縁取られた半円形アーチの左右上部は「鏡」と呼ばれる石の円盤で飾られています。
中央の大パティオは2つの回廊に囲まれ、ポンペヨ・レオーニの作品を複製した皇帝カルロス5世の彫刻が飾られています。屋根にそびえる4本の四角柱の大塔 ですが、前方になる北側に2本、南側壁に2本、フアン・デ・エレラが改築したファサードの四隅にでんと据えられ、黒いスレートの尖頭屋根で仕上げられてい ます。
しかしながら、この新宮殿は、王の邸宅にはなりませんでした。完成する前に、トレドからマドリードに遷都してしまったからです。とはいえ、寡婦となった王 妃や王位継承者に政権を譲り隠居した王妃たち、たとえば、マリアナ・デ・アウストリアフェリペ4世(在位:1621年 – 1665年)の寡婦、カルロス2世(在位:1665年 – 1700年)の妻フアナ・デ・ネオブルゴたち の住まいになりました。
アルカサルはその後、王室の牢獄、王軍司令部、絹物商の工房など多目的に利用さることになり、最終的には軍隊の士官学校になりました。また数回の火事にも 見舞われています。1710年の王位継承戦争((1701年 – 1714年)で焼けた時には、ベントゥラ・ロドリゲスの指揮で修復されました。独立戦争(1808年 – 1814年)の時には2度焼き討ちされ、 1887年には自然発生の火災がありました。1936年9月、スペイン内戦(1936年7月 – 1939年3月)ではアルカサルが激戦の舞台となり、破壊し尽くされてしまいました
アルカサルの再建は1940年から始まり、1961年、フアン・デ・アバロスの手によって落成式を迎えました。何年間も軍隊博物館の一部を引き受けてきま したが、最終的にはすべてが引き取られ、新装されることになりました。階上には、カスティーリャ・ラ・マンチャ州立図書館が併設されており、最新の設備と 窓に映る見事な景観で、利用者に喜ばれています。  (「アルカサル – Toledo」より)]

アルカサル – Google Map 画像リンク」「軍隊博物館 – Google Map 画像リンク」「カスティーリャ イ ラ マンチャ図書館 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向がアルカサルです。

カメラ南方向がアルカサルファサードです。(アルカサルのストリートビューです。)

アルカサルパティオのストリートビューです。

アルカサル屋上歩廊の360citiesです。

アルカサル博物館エントランスホールのストリートビューです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*