アウグスト寺院の遺跡

マーカーはアウグスト寺院の遺跡です。

アウグスト寺院の遺跡
[路地裏の入口から敷地内に入り、向かって右手にある数段の階段を下ると、紀元1世紀のローマ時代に建設されたアウグスト寺院で利用されていた4本の石柱があります。建物の中庭にひっそりとたたずむ石柱は、周囲の外壁の色が奇抜なせいもあり、どことなく異空間でした。この柱が現在も残っているのは、左画像の下にある小さな黒白写真のように建物内に取り込まれていたため結果的に大きなダメージを受けずに保存されていたそうです。  (「バルセロナのローマ遺跡:バルセロナ&タラゴナ旅行1日目(2) 」より)]

[バルセロナカテドラルの真後ろに、細いパラディス(Paradis)という通りがあります。その道が直角に折れ曲がる左手に、アーチの入り口があります。パティオがあり、上に続く階段が見えますが、興味のあるのはその左手。4段の階段を下りると4本の美しい柱があります。紀元1世紀、古代ローマ時代、バルセロナ はバルキーノ と呼ばれた、城壁に囲まれた人口2000人のローマのコロニーでした。その真ん中に、時の皇帝アウグストを祭った神殿がありました。この4本の柱は、その神殿の後ろ側左側の隅の4本の柱なのです。奇妙なことに、この柱は周りを個人の建物に囲まれていて、天井まで付いています。この柱は、信じられないことですが、家の中にあったのです。20世紀の初め、この建物の持ち主 Ramon Montaner は、この建物の改装を、甥のリュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech i Montaner)に依頼し、この柱は自分のCanet de Marにある、自分の家に移そうと計画しました。でも、歴史的な重要性を説いていさめたのは ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)でした。でも、当時は柱が3本しかありませんでした。もう一本は、王の広場にあったのです。王の広場にあった柱は、1954年になってやっと元の位置に戻されました。
  (「アウグスト寺院の柱 : gyuのバルセロナ便り Letter from Barcelona」より)]

カメラ北東方向がアウグスト寺院の遺跡がある建物です。

カメラ位置はアウグスト寺院寺院の遺跡・4本の柱前です。

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