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サガルディ(Sagardi)
[あんまりお腹が減ってなかったので町をブラブラ散歩(日曜日の夕方散歩は定番)してピンチョスでもさくっと食べる事にしました。場所は最近なぜかピンチョスのお店が集中している、Plaza de la Reina(レイナ広場)とPlaza del Ayuntamiento(市庁舎広場)を結ぶCalle San Vicente Mártir(サン・ビセンテ・マルティル通り)にあるバスク料理やピンチョスのお店SAGARDI(サガルディ)。Sagardiなかなかよかったですよ。陣取った場所が、温かいピンチョスが出てくる度に一番にオススメされる場所ってのも理由(店の奥のカウンターです)? さすがいろいろな所にお店を出しているチェーン店はなかなかやりますね! 温かいピンチョスは人の入り具合を見てか、3~4つずつ小出しにサーブしていました。こーゆーのも経験?? 社員教育の一環・・・そんなものないか。
わたしが一番気に入ったのは生ハムの上にちょっと甘くソテーされたキノコがのっているやつ・・・照り焼き風?
ピンチョスはどれも1つ1.80ユーロ。パートナー君の頼んだシドラが1.75ユーロでわたしの頼んだトニック・ウォーターがシドラより高くて2.60ユーロでした。(2012年6月) (「Sagardiでピンチョス | スペイン庶民生活@バレンシア」より)]
サン・マーチン教会
[サン・マーチン教会はバレンシア市で最も古い教会の1つで、サン・ビセンテ・マルティール(Sant Vicent Màrtir)通りの始まりにあります。
1238年アラゴン王ハイメ1世(在位:1213年 – 1276年)はアラゴン人・カタルーニャ人・ナバーラ人・カラトラバ騎士団による十字軍からなる軍隊を伴ってバレンシアを包囲し、9月28日には都市を降伏させ、5万人のムーア人がバレンシアを去ることを余儀なくされた。
バレンシアを征服した後、タラゴナの大司教であるペレダルバラ(Pere d’Albalat)は、城壁の内部のモスクに奉献した。それが、現在のサン・マーチン教会の起源です。1276年には、モスクの形を保持したセント・トーマス(Sant Tomàs)の教会を除き、すべての教会がすでに新しい建物で建設されていたことを示しているため、最初の建設は控えめでした。
最初の建物の存在は1372年から1401年までで、1356年に壁が拡張され、周辺の建物の移動により、サン・マーチン教会の偏狭な敷地が大きくなり、面積が最大の寺院の1つとなったため、より大きな寺院が必要になりました。この拡大は、1372年に市の一般評議会によって与えられた古い閉塞的な敷地に追加され、1388年には、教会の増築がすでに完成しているようです。
16世紀半ばまで、教会はゴシック様式を維持していましたが、1547年から1570年の間に内陣の改修工事が行われ、その後、半世紀近くにわたって礼拝堂の改修が進めら、それは17世紀半ばまで続きました。
1621年から1627年の間に、鐘楼が建設されました。
聖体拝領礼拝堂は1669年から1674年にかけて建てられました。建築家のガスパル・マトゥターノ(Gaspar Matutano)とジョセップ・エスクリバ(Josep Escrivà)が設計した、ほとんど独立した小さな教会です。 日付は、教会から独立した戸口にある表示板に記述されています。
教会ポータル上の彫刻群・wikipedia-photo、内部・wikipedia-photo、内陣天井の詳細・wikipedia-photo、身廊の側面にある柱の詳細・wikipedia-photo、聖体拝領の礼拝堂のファサード・wikipedia-photo、1909年の周辺の画像・wikipedia-photo]
中世の壁の状況、青、バレンシア市の主要、副門、門。
橙色のエリアがローマ時代の城壁内、赤色のエリアがアラブの壁、青色のエリアが1356年 – 1370年建設されたバレンシアの中世の壁です。サン・マーチン教会の場所はローマ時代の城壁とアラブの壁の間で、Bab Baytala の右上方向にあります。
「Church of Sant Martí, València – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向がサガルディ(Sagardi)で、カメラ東北東方向がサン・マーチン教会です。
サン・マーチン教会前のカメラです。
サン・マーチン教会身廊のカメラです。
サン・マーチン教会身廊右のカメラです。
聖体拝領の礼拝堂ファサードのカメラです。
聖体拝領の礼拝堂内のカメラです。