オリエンテ広場

マーカーはフェリペ4世騎馬像です。

オリエンテ広場
[18世紀につくられたマドリード王宮は東側に庭園がつくられていた。1808年から1813年までスペイン王であったホセ1世は、王宮周辺の建物を取り壊し、市内全体の道路とアクセスの良い都市計画を練った。その後フェルナンド7世_(スペイン王)は古い劇場を廃止し、王宮と向かい合う場所に新劇場(現在のテアトロ・レアル)をイシドロ・ベラスケスに設計させた。ベラスケスが指揮した計画では広場そのものは半円形で、ポルチコを設置し、劇場の両側に左右対称の住宅を3ブロックずつ連ねるものだった。広場の庭園は時代の経過とともに驚くべき変化を遂げた。1941年まで、広場の中心にあるフェリペ4世騎馬像の周りを庭園が占めたが、円周の端に移動させられた。西ゴート王国スペイン各王家の王の彫像は44体が設置されていたが、1927年に20体に減らされた。現在の庭園設計は1941年以来のものである。20体の彫像群は、中央の騎馬像をはさんで両側に10体ずつ並べられている。ホセ・マリア・アルバレス市長時代の1990年代半ば、広場が再び刷新された。広場と王宮の間にバイレン通りがつくられ、王宮から広場が切り離された。テアトロ・レアルから伸びる舗道が整備された。広場の下に地下ショッピング・モールと地下駐車場をつくるという案は最終的に却下された。工事でいくつかの考古学発見(16世紀にハプスブルク家が使用したテソロ邸跡、11世紀のムーア人が建てた監視塔跡など)がなされ議論がさかんとなったが、その多くは壊され、1996年に工事は完了した。
フェリペ4世騎馬像
イタリア人彫刻家ピエトロ・タッカが、ディエゴ・ベラスケスの描いた肖像を参考に頭部をつくり、胸部をフアン・マルティネス・モンタネスがつくった。父フェリペ3世_(スペイン王)の騎馬像(マヨール広場_(マドリード)にある)より優れた自分の像が欲しいというフェリペ4世が望み、命令を受けたオリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマンが具体的に騎馬像製作の指示を出した。1843年、イサベル2世の命令でオリエンテ広場に設置された。像は東を向いている。芸術的価値はもちろん、技術的な面からも騎馬彫刻の傑作とされている。2本の後ろ足で立ち上がったこの騎馬は世界初の試みであり、その尻尾は下に下がっている。微妙なバランスに支えられ、像の重量配分を計算した上で作られている。台座の四方には青銅製のライオン像が設置されている。その他台座のレリーフには、サンティアゴ騎士団の服装をしたベラスケス像が彫られ、フェリペ4世が芸術を保護したことを表す寓話となっている。
「オリエンテ広場。騎馬像の背景にはマドリード王宮」・wikipedia-photo、バロック様式の庭園を持つ・wikipedia-photo、フェリペ4世騎馬像・wikipedia-photo、「美しく舗装されたバイレン通りの舗道。1996年までここは王宮とつながっていた」・wikipedia-photo、広場に並んでたつ王たちの像・wikipedia-photo  (wikipedia・オリエンテ広場より)]

Los reyes españoles de la plaza de Oriente – Google Map 画像リンク

カメラ位置はオリエンテ広場で、カメラ東南東方向がフェリペ4世騎馬像、カメラ西方向が王宮(マドリード)です。

フェリペ4世騎馬像前のカメラです。

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