サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂

マーカーはサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂です。

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂
[ゴヤの描いた丸天井フレスコ画は、マドリードの秘宝のひとつであり、描いた時のままのセッティングで見ることのできる数少ない所でもある。そのため、この礼拝堂は「ゴヤの神殿 -Panteón de Goya-」とも呼ばれている。  (「esMADRID.com – マドリード美術館・博物館 一覧」より)]

[ネオ・クラシック様式のシンプルな外観にも関わらず、サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂の内部には、スペインを代表する画家ゴヤによって1798年に描かれた壮大なフレスコ画を収容し、マドリードの隠れた観光名所となっています。
サン・アントニオ祭(6月13日に行われる恋と結婚の守護聖人サン・アントニオの祭り)で有名なこの礼拝堂のパンテオンは、ゴヤによって聖人サン・アントニオのエピソードが綴られたフレスコ画「サン・アントニオの奇跡」が描かれ、ゴヤの天井画(ゴヤのパンテオン)として知られており、スペイン芸術の傑作のひとつであるといわれています。内部はドームアプス、穹隔(きゅうぐう)までゴヤのフレスコ画で装飾されているため、訪れた者たちは皆はっと息を呑みます。
12世紀末リスボンに生まれたアントニオは聖者としてイタリアで亡くなりました。サン・アントニオは縁結びの聖人としてリスボンではとてもポピュラーな存在なのです。この礼拝堂は聖人サン・アントニオに捧げられた3番目の礼拝堂として、カルロス4世の命により1792~1798年にかけて建築家フェリペ・フォンターナ(Felipe Fontana)の手で再建設されました。1798年、礼拝堂再建にともない内部装飾を依頼された時、宮廷画家であったフランシスコ・デ・ゴヤは52歳でした。彼は1792年に発症した不治の病による難聴とそれによる継続的なめまいに苦しみながらも、弟子であるアセンシオ・フリア(Asensio Juliá)と共に、毎日馬車で礼拝堂に通い詰め6ヶ月間でこのフレスコ画を描きあげました。ゴヤはその時代の型を破り、天使の合唱団の絵の上、つまり天上の舞台のためにとって置かれたドームにサン・アントニオを描きました。窓に挟まれた丸天井と装飾品には、ケルビム(智天使)と女の天使たちを見ることができます。なめらかなチュニックに身を包んだ官能的で美しいこれらの天使たちは、ゴヤが描いたことがあるアルバ公爵夫人のような社会的に名高い貴婦人を思い出させます。
アプスには、彫刻の周りに集まる天使たちが描かれた聖三位一体を見ることができます。天井に描かれたフレスコ画「サン・アントニオの奇跡」は、不当な殺人罪で告発された父親の無実を証明するため、サン・アントニオが衆人の見守るなか殺された人を蘇らせているシーンが描かれています。
1905年、フレスコ画を維持るすためこの建物は国定記念建造物に指定されました。さらに1928年には隣にレプリカの礼拝堂を建設し、礼拝はこちらで行われることとなりました。これはロウソクの煙によるフレスコ画の損傷をさけるため、そして本来の教会を美術館および霊廟として保護するためです。ゴヤのフレスコ画以外にもこの礼拝堂が有名な理由は、ここにゴヤの遺体が安置されているお墓があるということです。  (「esMADRID.com – サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 」より)]

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ教会 – Google Map 画像リンク
 
カメラ北東方向がサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂で、カメラ南西方向にゴヤの銅像があります。

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