サン・フランシスコ・エル・グランデ教会

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サン・フランシスコ・エル・グランデ教会
[スペインの首都、マドリードにある教会。13世紀にアッシジの聖フランチェスコが巡礼の途中に建てた礼拝堂に起源する。現在見られるマドリード最大の円堂をもつ教会は、18世紀にスペイン王カルロス3世の命により建造。ゴヤスルバランなどの宗教画があることで知られる。  (「サンフランシスコエルグランデ教会 とは – コトバンク」より)]

[支倉常長一行は1614年12月20日マドリッドに到着。宿舎に指定されたのはサン・フランシスコ会の修道院(現「サン・フランシスコ・エル・グランデ」という教会・修道院)であった。サン・フランシスコ・エル・グランデは、王宮の東脇をまっすぐ延びるバイレン通りを南に700m程歩くと通りに面して右手(西側)にある。現在の教会は丸天井のドームを中心に美しい造形で、1784年の建築という。その教会の右・後ろが現在の修道院であるが、共に支倉一行訪問時以降の建築なので、残念ながら訪問時の姿をとどめておらず、所在地が往時と同じというのみである。 現在の教会の建物の南隣りに支倉使節一行が宿泊していた修道院の建物があったという。ローマ法王へ謁見のための出発許可がスペイン政庁内での多くの反対意見の中でようやく下り、支倉一行がマドリッドを出発する1615年8月22日までの実に9ヶ月もの間、一行はここに滞在することとなるのである。その間、6月にはこのサン・フランシスコの修道院の長老がインディアス顧問会議議長サリーナス候に対し覚書を出し、一行の日本人が修道院の病室と下層の病人を治療する部屋を滞在場所として占拠しているため病人に5人の死者がでて、尚1人危篤である旨を伝え、これ以上は数日間であろうと日本人が修道院に滞在するのは我慢がならず、自ら日本人の移る家を探して借費を支払うとまで訴えた。にもかかわらず、その後ローマへ向け出発する2ヶ月もの間一行は尚もこの修道院に滞在していたのである。  (「支倉常長の足跡を追う旅」より)

「サン・フランシスコ・エル・グランデ教会」・wikipedia-photo、聖堂のメインファサードwikipedia-photo、聖堂のインテリア・wikipedia-photo、1860年のインテリア・wikipedia-photo]

サン・フランシスコ・エル・グランデ – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向がサン・フランシスコ・エル・グランデ教会です。

サン・フランシスコ・エル・グランデ教会身廊のカメラです。

サン・フランシスコ・エル・グランデ教会南側庭園のカメラです。

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