ビリャ広場(市役所広場)

マーカーはビリャ広場(市役所広場)です。

ビリャ広場(市役所広場)
[ビリャ広場 (Plaza de la Villa)は、スペインマドリードのセントロにある小さな広場。広場の北をマヨール通りが接する。ルハネスの家と塔シスネロス邸カサ・デ・ラ・ビリャ(マドリード市庁舎)といった、異なる時代に異なる様式で建てられた歴史的建築物に囲まれている。
ビリャ広場は中世マドリード有数の広場の一つで、マドリードに入る主要門であったグアダラハーラ門とベガ門の中間地点にあった。表通りに面してたっていたサン・サルバドール教会にちなみサン・サルバドール広場と呼ばれていたが、現在教会の場所にはマドリード市庁舎分室があり、往時の記憶をとどめるのはプラークのみである。
15世紀、マドリードの町がカスティーリャエンリケ4世(在位:1454年 – 1474年)から『高貴にして忠実な町』(Noble y Real Villa)という称号を授けられたことにより、広場はビリャ広場と呼ばれるようになった。
アルバロ・デ・バサン像
1888年、高名な軍人アルバロ・デ・バサンの没後300年を記念して、市はバサン像の設置を決定した。実際に設置されたのは1891年である。台座の正面には彼の名前が、後方にはロペ・デ・ベガによる追悼文が刻まれている。
ビリャ広場・wikipedia-photo、「アルバロ・デ・バサーン像」・wikipedia-photo  (wikipedia・ビリャ広場より)]

[ビリャ広場からは、街の昔の道筋に当たるコド通り(Calle del Codo)、コルドン通り(Calle del Cordón)、マドリード通り(Calle de Madrid)という3本の小さな通りが延びていたため、広場は中世マドリードの中心地の一つとなっていました。広場の周囲には、歴史的にも芸術的にも極めて価値の高い3つの建物のファサードが並んでいます。これらの建物はそれぞれ異なる世紀に建設されたものです。最も古いのが、ゴシックムデハル様式のルハネスの家と塔(Casa y Torre de los Lujanes)(15世紀)です。広場の東側に立ち、現在では人文・政治学アカデミー(Academia de Ciencias Morales y Políticas)の本部となっています。次に古いのがシスネロス邸(Casa de Cisneros)(16世紀)です。プラテレスク様式の邸宅で広場の南側に位置しています。そして、バロック様式の市庁舎(カサ・デ・ラ・ビジャ:Casa de la Villa)(17世紀)はマドリード市役所の本部の一つで、広場の東側を占めています。
15世紀、カスティーリャ王エンリケ4世(Enrique IV de Castilla)はマドリードに対して「高貴で忠実な町(ノブレ・イ・レアル・ビジャ:Noble y Leal Villa)」という称号を与え、これに合わせて広場は現在の名前となりました。市役所は1888年に、スペイン海軍で偉大な功績を残したアルバロ・デ・バサン(Álvaro de Bazán)(1526~1588)の死後300年を記念して、モニュメントを建造することを決定しました。しかし、公開に至ったのは1891年12月19日のことでした。それ以来モニュメントは広場の中心に立ち、現在では周囲を広い花壇に囲まれています。  (「ビジャ広場(プラサ・デ・ラ・ビジャ:Plaza de la Villa) – Es Madrid」より)]

Plaza de la Villa – Google Map 画像リンク

カメラ位置はビジャ広場(市役所広場)で、カメラ南方向にアルバロ・デ・バサン像があります。

ビリャ広場(市役所広場)の鳥瞰カメラです。

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