マイゼル・シナゴーグ

マーカーはマイゼル・シナゴーグです。

プラハ・ユダヤ博物館(Židovské muzeum v Praze)

[グーグル・アート・プロジェクトは、グーグル社のストリートビュー技術をそのまま美術館内部にまで持ち込み隅々まで撮影し、web上で公開しています。]

[現在のプラハヨゼフォフ地区に残されているユダヤ人ゲットー時代の物としては、ユダヤ人市庁舎と6つのシナゴーグと旧ユダヤ人墓地がある。
6つのシナゴーグのうち、今日でもシナゴーグとして機能しているのは旧新シナゴーグのみである。それ以外のシナゴーグは博物館として公開されている(高等シナゴーグ(Vysoká synagoga) のみ見学不可)。旧ユダヤ人墓地は15世紀に創設されたものでピンカス・シナゴーグの出口の先に広がっている。現存する墓石は1万2000個に及ぶ。共産主義時代には、この地域は、観光客も少なく閑散としていた。特に、シナゴーグは、共産主義時代には、観光客には公開されていなかったが、民主化後、これらのシナゴーグの展示場や旧ユダヤ人墓地がまとめて「プラハ・ユダヤ人博物館」となっている。  (wikipedia・ヨゼフォフより)」

マイゼル・シナゴーグ
[マイゼルシナゴーグは1590年から1592年にかけてユダヤ人商人であり慈善活動家であったモルデハイ・マイゼルによって建てられたシナゴーグです。そして1270年に作られたゲットー(ユダヤ人居住区)にある6つの建造物から構成されるユダヤ博物館内の1つでもあります。現在のルネッサンス様式の姿になるまでのマイゼルシナゴーグは、様々な様式に変えられてきました。先ず、17世紀に起きた大火災で焼失した後バロック様式に、そして1893年から1905年にかけてネオ・ゴシック様式に再改築されました。現在、マイゼルシナゴーグは博物館として金・銀細工、宗教上の織物などの保管しているほか、「ボヘミアモラヴィアにおけるユダヤ人の歴史、黎明期から解放期まで(10世紀から18世紀)」という常設展も開催しています。  (「マイゼルシナゴーグ」より)]

[神聖ローマ皇帝ボヘミア王ルドルフ2世(神聖ローマ皇帝・在位:1576年 – 1612年、ハンガリー王・在位:1572年 – 1608年)はプラハのユダヤ人商人モルデハイ・マイゼル(Mordechaj Maisel)を最初の「宮廷ユダヤ人」に迎え、彼にさまざまな商業上の特権を与えた。しかし自分の死後には財産は没収されるであろうと読んでいたマイゼルは、儲けた金を貯め込むのではなく、ユダヤ人同胞たちのために使った。プラハのゲットーに病院や学校、貧救院を作り、道を舗装し、ユダヤ人墓地を寄進した。16世紀末にはマイゼル・シナゴーグを建設した。このシナゴーグは20世紀初頭に建て直されて今日まで存続している。またマイゼルはプラハ以外のユダヤ人のためにもユダヤ人基金を創設して巨額の寄付をしていた。この時代の人間でこれほどに慈善活動を行った者はマイゼルを除いて他にいないといわれる。
「モルデハイ・マイゼルが建設したマイゼル・シナゴーグ。17世紀に火災で焼失しており、現在の物は再建された物であるが、当時よりも小規模であるという。」・wikipedia-photo  (wikipedia・ヨゼフォフより)]

Maisel Synagogue – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向がマイゼル・シナゴーグです。

マイゼル・シナゴーグ内のカメラです。

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