マウリッツハイス美術館

マーカーはマウリッツハイス美術館です。

[Google アートプロジェクト] – 「マウリッツハイス美術館」(ヘッダー画像右下のペグマンをクリックするとストリートビューが表示されます。)

マウリッツハイス美術館
[マウリッツハウス(オランダ語:Mauritshuis)は、オランダデン・ハーグにある美術館。正式名称はマウリッツハウス王立美術館(オランダ語: Koninklijk Kabinet van Schilderijen Mauritshuis、英語: The Royal Picture Gallery Mauritshuis (Maurice House))であるが、単にマウリッツハウスと呼称されることが多い。日本ではマウリッツハウス美術館と呼ばれ、またマウリッツハイスの表記も用いられる。
マウリッツハウスの建物は、17世紀半ば、ヤーコプ・ファン・カンペンの設計で建てられたもので、オランダ古典様式建築の代表作とされる。館名はここに住んだナッサウ=ジーゲン侯ヨハン・マウリッツ(1604年 – 1679年)にちなむ。ヨハン・マウリッツは、代々オランダ総督を務めてのちに王家となったオラニエ=ナッサウ家の傍系で、当時植民地であったオランダ領ブラジルの総督を務めた人物である(オラニエ公マウリッツとは別人)。1704年の火災で内装を焼失したが、外観はほぼ建設当時の面影を残しているといわれる。
コレクションはオランダ総督ウィレム5世と、その子のオランダ初代国王ウィレム1世の収集が中核となっている。王立美術館として開館したのはウィレム1世の時代、1822年である。美術館の規模はさほど大きくないが、オランダ絵画をはじめ珠玉の名品を収蔵することで知られる。中でも世界に三十数点しかないフェルメールの作品のうち3点がここにあることが注目される。
2007年に拡張が発表された。2010年6月22日に建築家ハンス・ファン・ヘーウェイク(オランダ語版)によるプライマリー・デザインが発表され、同年12月最終ドラフトが完成した。計画では隣接する建物と地下で接続し、美術館のスペースは倍増する。2012年4月より美術館本体の工事が始まり閉館、2014年6月に再開館した。工事期間中、コレクションの一部はデン・ハーグ市立美術館に展示され、一部は他の美術館へ貸し出された。
マウリッツハイス美術館・wikipedia-photo、フェルメール『真珠の耳飾の少女』・wikipedia-photo、フェルメール『デルフトの眺望』・wikipedia-photo  (wikipedia・マウリッツハイス美術館より)]

マウリッツハイス美術館 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向がマウリッツハイス美術館です。

マウリッツハイス美術館内1室のストリートビューです。左が2室、右が8室になります。

2室 – アンソニー・ヴァン・ダイクアンナ・ウェイクの肖像』1628年

3室 – ピーテル・パウル・ルーベンスろうそくを持つ老婆と少年』1616年と1617年の間

3室 – ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母被昇天』の下絵 1622年-1625年頃

6室 – クエンティン・マサイス聖母子』1525年-1530年頃

7室 – ヨアヒム・ブーケラール(Joachim Beuckelaer)『Kitchen scene with Christ at Emmaus』(1560 – 1565年)

8室 – 左下、ピーテル・クラースゾーンヴァニタス』1630年。右、ヘンドリック・アーフェルカンプDutch Golden Age paintings in the Mauritshuis

9室 – レンブラント・ファン・レインテュルプ博士の解剖学講義』1632年

10室 – レンブラント・ファン・レイン『自画像』1669年

12室 – パウルス・ポッテル雄牛』1647年

14室 – 室角右、ヤン・ステーン恋わずらい』1660年-1662年頃

15室 – フェルメール『デルフトの眺望』

15室 – ヨハネス・フェルメール『ディアナとニンフたち』1655年-1656年頃

15室 – フェルメール『真珠の耳飾の少女』。右、ヘラルト・テル・ボルフ手紙を書く女』1655年頃。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*