マーカーは洗礼堂です。
洗礼堂(英語:Pisa Baptistery、イタリア語:Battistero di San Giovanni (Pisa))
[洗礼堂は、ピサ大聖堂の西側に建っている円筒形の建物。直径約35m。着工は、1152年で完成には200年以上を要した。全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式で大聖堂と同じような列柱とアーチで装飾されている。しかし上側はゴシック様式を示している尖塔群で装飾された珍しい建物である。屋根は片面だけ鉛板葺きとなっている。これは建設中の予算不足のためとする説もある。
洗礼堂・wikipedia-photo
内部・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、洗礼堂の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・ピサのドゥオモ広場より)]
[1152年にディオティサルヴィ(Diotisalvi)により着工。13世紀にはピサーノ親子((ジョヴァンニ・ピサーノ、ニコラ・ピサーノ(Nicola Pisano))も建築に携わり、14世紀後半チェッリーノ・ディ・ネーゼ(Cellino di Nese)の指揮のもとに完成した。
洗礼堂はピサ・ロマネスク様式とゴシック様式で構成され、作られた時代の移り変わりを物語っています。1層目は向かい合う大聖堂のファサードと同じ列柱回廊で飾られ、2層目以上にはゴシック式ピナクル(小尖塔)とペディメント(三角形の切妻壁)が繊細なレース模様のように重なり合い「宝石箱」と呼ばれる理由がよくわかります。
8面からなる円蓋は部分的に大理石の化粧板が使用され、その他は素焼きの瓦がのせられている(茶色の部分)。4つの扉口のうち大聖堂に面した所が入口で、この入口の両脇にある柱には彫刻が施され、扉の上にはジョヴァンニ・ピサーノによる聖母子像の複製(オリジナルはドゥーモ付属美術館蔵)が置かれています。
説教壇はニコラ・ピサーノにより1255年から1260年にかけて制作されたもので、中央に1本、周囲に6本の計7本の柱で支えられ、そのうち3本の柱の台座にはライオン像が彫られている。円柱の上には美徳の擬人像が、柱と柱を結ぶアーチには預言者が見られます。5枚の浮き彫りパネルは赤みのある石で額縁のように縁取られ、そこにはキリストの生涯を表す「受胎告知とキリストの誕生」「三王礼拝」「キリストの奉献」「磔刑」「最後の審判」が彫られています。
中央に置かれた洗礼盤は13世紀半ばにグイド・ダ・コモ(Guido da Como)によって作られたもので、各面には大理石のバラ型装飾と見事な象眼細工が施されています。 (「ピサの斜塔と大聖堂がある奇跡の広場、美しい洗礼堂や神聖な …アーモイタリア」より)]
ピサの洗礼堂平・断面図(「Viaggi d’Architettura| Campo dei Miracoli, Pisa – Archis Loci」より)
「サンジョバンニ(ピサ)の洗礼堂 – Google Map 画像リンク」
カメラ西南西方向が洗礼堂で、カメラ東北東方向がピサ大聖堂西面ファサードです。
入口の両脇にある柱には彫刻が施され、扉の上にはジョヴァンニ・ピサーノによる聖母子像の複製があります。
洗礼堂内のカメラです。カメラ西方向中央に置かれた洗礼盤はグイド・ダ・コモによって作られたものです。
カメラ南西方向がニコラ・ピサーノによる説教壇です。
洗礼堂内2階歩廊(女性ギャラリー)からのカメラです。