エクトール・ギマール邸

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エクトール・ギマール邸
[エクトール・ギマール(Hector Guimard, リヨン、1867年3月10日 – ニューヨーク、1942年5月20日)は、フランスの建築家で、同国におけるアール・ヌーヴォーの代表者。
カステル・ベランジェによってエクトール・ギマールの名は急速に知られることになり、多くの注文が舞い込むことで、彼は自身の美学――とりわけ調和、およびスタイルの連続性(アール・ヌーヴォーの主な理想)――の研究を以前にまして推し進めることができるようになった。そしてそのことが、1909年のギマール邸(富裕なアメリカ人妻への結婚プレゼント)を頂点とする、インテリア装飾のほぼ全体主義的なデザインへと彼を導いたのであった。その卵形の部屋には、建物の統一的な構成要素としてのユニークな家具類が備えつけられていた。
目覚ましい発明の数々やあらゆる方面へのデモンストレーションにもかかわらず、新聞や人々の目は急速にギマールから(その作品というよりも、いらだつこの男から)離れていった。そして彼自身こそが、アール・ヌーヴォーの代表者にふさわしい人物として、この運動の理想の抱える本質的な矛盾の犠牲者となったのであった。すなわち、彼の最も完成された製作物が、大多数の人々にとって金銭的な意味でアクセスできないものであったし、そしてその逆に、彼の規格化への試みは、彼自身の語彙にそぐわないものだった。戦争を恐れて亡命したニューヨークで(彼の妻はユダヤ人だった)1942年に没したとき、ついに彼は完全に忘れ去られたのだった。
多くの作品が解体されてしまった後になって、個々の調査者たち(第一世代の「エクトール研究家」たち)は、1960~1970年ごろ、このギマールとその作品世界を再発見するにいたり、またその歴史を丹念に再構成している。こうした作業の大半はすでに完了しているが、アール・ヌーヴォーの「すばらしい表現」(ル・コルビュジエ)から100年、フランスにおいてエクトール・ギマールの多くの建築物は公開されておらず、ギマール美術館も整備されていないのが実情である。  (wikipedia・エクトール・ギマールより)]

Hôtel Guimard – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向がエクトール・ギマール邸です。