エコール・デ・ボザール

マーカーはエコール・デ・ボザールです。

エコール・デ・ボザール
[エコール・デ・ボザール(Ecole des Beaux-Arts, Ecole nationale superieure des Beaux-Arts)は19世紀パリに設立されたフランスの美術学校である。350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を多く輩出してきた。現在は建築がここから切り離されている。パリ・ボザールの正面にはマラケ河岸から一内側にはいったボナパルト街に面して構え、ニコラ・プッサンとピエール・ビュジエの胸像を頂部に載せた門柱が目に入り、中はフレンチルネサンス建築の断片でくみ上げられた壮大な中庭が目の前に展開する。
1648年、ルイ14世は王立建築物の各種美術工芸や装飾を担当させる人材の育成を要請し、枢機卿マザランフランス王立アカデミーの付属学校として美術学校を設立した。その後古典主義建築の母体となる建築アカデミーが1671年に時の宰相コルベールによって創設された。これらのアカデミーは古典主義芸術の進展を促す母体となっていき、ルイ14世からルイ16世までの旧制度化においてフランスで絶対的な地位を確立するにいたった。また1666年にはローマにフランス・アカデミーを設置し、本国から選りすぐりの芸術家を古典文化の発掘と接収を目的に派遣するようになった。1789年に勃発したフランス革命によって、革命に共鳴した若い芸術家たちは旧体制のアカデミーに対抗して芸術コミューンを成立させ、1793年には王立アカデミーは廃止されたが、建築アカデミーは教授をつとめていたジュリアン・ダヴィド・ルロワがコミューンとして主宰することで学校は存続する。その後18世紀なかばに旧アカデミーにかわり学士院が発足し、美術の教育機関が復活。さらにナポレオン失脚後の王政復古にともない、学士院の芸術部会はそのまま絵画・彫刻・建築の3分野の、各芸術アカデミーと呼称を変更し発足する。この王政復古の時期に、フランスではさまざまな組織や期間が整理と統廃合が行われ、別々の芸術アカデミーであった絵画・彫刻・建築などもひとつに統合した教育機関の創設、学校名「エコール・ロワイヤル・エ・スペシアル・デ・ボザール」が、1816年12月18日国王命令により決定される。こうして1819年に、名称を国立の美術学校(エコール・デ・ボザール)に改称となった。当初学生は男性のみで、女性は1897年から入学を許可された。
「エコール・デ・ボザールの入り口」・wikipedia-photo  (wikipedia・エコール・デ・ボザールより)]

国立高等美術学校 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向がエコール・デ・ボザールです。

エコール・デ・ボザール中庭のカメラです。

エコール・デ・ボザール中庭授業中のカメラです。

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