コンコルド広場

マーカーはクレオパトラの針です。

コンコルド広場
[1755年、Ange-Jacques Gabrielによって設計され、当初ルイ15世(在位:1715年 – 1774年)の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた。その後、フランス革命(1787年 – 1799年)の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。フランス革命中には、ルイ16世(在位:1774年 – 1792年)やマリー・アントワネットへの斬首が行われた刑場でもある。1795年、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始める(公式名になったのは1830年)。
コンコルド広場・wikipedia-photo、ルクソール神殿のオベリスク・wikipedia-photo、コンコルド広場(1919年)・wikipedia-photo  (wikipedia・コンコルド広場より)]

[パリのコンコルド広場にあるクレオパトラの針 (L’aiguille de Cléopâtre) はルクソールオベリスク(Luxor Obelisk)とも呼ばれる。広場の中央に立てられており、ラムセス2世の治世を褒め称えるヒエログリフが刻まれている。元々はルクソール神殿の入口に対で立っていた(残る1本はまだそのまま立っている)。1826年、エジプトスーダンを統治していたムハンマド・アリーがフランスに贈った。1833年、ルイ=フィリップ1世(在位:1830年 – 1848年)の命でコンコルド広場の中央に立てられた。その場所は1793年にルイ16世とマリー・アントワネットがギロチンで処刑された場所である。当時の技術レベルでは輸送は困難を極めた。台座には輸送の際にどのような機械を使ったかを説明する図がある。赤い花崗岩でできており、台座を含めて高さは23メートル、重さは250トン以上である。先端部分は紀元前6世紀ごろ盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。オベリスクを立てた際にそれを挟むように2つの噴水も建設された。
パリのオベリスクは1877年には “l’Aiguille de Cléopâtre” と呼ばれており、ロンドンやニューヨークよりも先に「クレオパトラの針」というあだ名がついていた。しかし、2012年現在は「ルクソールオベリスク」と呼ばれることが多い。
「パリのコンコルド広場にあるクレオパトラの針」・wikipedia-photo  (wikipedia・クレオパトラの針より)]

コンコルド広場 – Google Map 画像リンク」「Fontaine des Mers – Google Map 画像リンク

コンコルド広場のカメラです。

黄昏のコンコルド広場です。

「パリのコンコルド広場にあるクレオパトラの針」

コンコルド広場にある観覧車

コンコルド広場にある黄昏の海の噴水(Fontaine des Mers)

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