サンジェルマン大通り

    上地図右のサードバーのマーカーポイント名をクリックするとマーカーポイントの吹き出しが表示されます。

    サンジェルマン大通り
    [サンジェルマン大通り(仏:Boulevard Saint-Germain)はパリセーヌ川左岸にある大通りの名称。東はサン・ルイ島の先端に架かるシュリー橋から起こり、弧を描くように西行し、パリ5,6,7区を通ってコンコルド橋(右岸のコンコルド広場に渡る橋)で終わる。ほぼ中間のところで南北に走行するサンミシェル大通りと交叉している。
    この通りは、通りの名の由来となったサンジェルマン・デ・プレ(フランス語版)地区やフォーブール・サンジェルマン(フランス語版)地区(邸宅が多く、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に描かれた)を通ることで知られる。
    サンジェルマン大通りの名は、中世(6世紀)から残るサンジェルマン・デ・プレ寺院フランス語版)(レンヌ通りが突き当たる場所に建つ)に由来する。通りの周辺はフォーブール・サンジェルマン(サンジェルマン・デ・プレ寺院の郊外の意、寺院の西側に拓けた)として知られる。
    17世紀には、サンジェルマン地区は貴族の邸宅(hôtels particuliers)が集まる場所となった。19世紀になってもその状態は続いていたが、その頃には古くからの貴族街として、セーヌ川右岸の新興ブルジョアジー地区であるサン・トノレ大通り(ブールヴァール・サン・トノレ)やシャンゼリゼ通りと対比された(例えばオノレ・ド・バルザックの小説に描かれている)。
    1930年代以降、ここは夜の繁華街やカフェ、学生街(この通りはカルチエ・ラタンを通る)となっていった。ドゥー・マゴ(サルトルやボーヴォワールなどに愛されてきたカフェ)やカフェ・ド・フロール(サルトルが書斎として利用したカフェ)をはじめとする多くのカフェが集まり、サンジェルマン地区は実存主義のメッカとなった(ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールにゆかりがあった)。第二次世界大戦後サンジェルマン大通りは、パリの知的・文化的地域となった。哲学者や作家、音楽家たちが通りに居並ぶナイトクラブやブラッスリーに溢れていた。
    現在のサンジェルマン大通りはジョルジオ・アルマーニからソニア・リキエルまでの店舗が並ぶ最高級商店街となっている。しかし知的・政治的な会合や夜会も、相変わらず無名のカフェで盛んに行われている。近くにはヨーロッパ有数の政治学教育機関であるパリ政治学院(略称”Science-Po”)がある。
    ビュシ通りとの交差点から眺めたサンジェルマン大通り・wikipedia-photo、「ドゥー・マゴ(カフェ)」・wikipedia-photo、「カフェ・ド・フロール」・wikipedia-photo、「サンジェルマン・デ・プレ寺院の鐘楼」・wikipedia-photo  (wikipedia・サンジェルマン大通りより)]

    パリの歴史的カフェ レ・ドゥ・マゴ Les Deux Magots – paris-bistro japon」、「カフェ・ド・フロール Cafe de Flore – paris-bistro japon

    カメラ西方向がサンジェルマン大通りで、カメラ東北東方向にサン・ルイ島の先端に架かるシュリー橋があります。

    カメラ位置はサンミシェル大通りとの交差点で、カメラ西北西方向、東南東方向がサンジェルマン大通りです。

    カメラ北西方向がドゥー・マゴ(カフェ)で、カメラ北東方向がサンジェルマン大通りの名の由来する、中世(6世紀)から残るサンジェルマン・デ・プレ寺院です。

    カメラ北北西方向がカフェ・ド・フロールで、カメラ南西方向にブラッスリー リップがあります。

    カメラ南南東方向がサンジェルマン大通りで、カメラ南西方向がブルボン宮殿(国民議会)、北方向がコンコルド橋になります。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    *