サン・セヴラン教会

マーカーはサン・セヴラン教会です。

サン・セヴラン教会(Saint-Séverin)
[6世紀、この辺りにセヴラン Severin というなの隠遁者が住んでいましたフランク王クロヴィスの孫のクロドアルドに僧衣を着せたのがこの人であったといわれています。9世紀に侵入してきたゲルマン人たちは、聖セヴランに捧げられた礼拝堂を焼き払ってしまいました。その後に建てられたシャペルと、その教会は、ヘルヴェチア(現在のスイスの事)の人で大修道院長だったもう一人の聖セヴランの名で呼ばれています。11世紀末には、サン・セヴランは左岸全体の教区教会として使われていました。13世紀前半になって、今の教会の建設が始められました。工事は前の建物のロマネスク様式ファサードを残しながらも、身廊の最初の三つの交差部をゴシック建築に作り直しました。古い様式から新しい様式への転換は、フランボワイヤン様式という形でさらに1530年まで続けられました。1681年、気まぐれな大妃殿下 Grande Mademoiselleと言われた、のルイ14世の従妹のモンパッシエ侯爵夫人がサン・シュルピスにあった自分の教区の信者と折り合いが悪くなり、サン・セヴランに鞍替えをしました。そして、その莫大な財産を注ぎ込んで、この教会の内陣を、17世紀の建築家でヴェルサイユ宮殿の装飾で知られているシャルル・ルブランの手で「当世風」に直させました。柱は木や大理石の柱像に取り囲まれ、ゴチック様式のアーケードは半円形の化粧飾りで覆い隠される事になりました。後陣の5つのアーケードは、内陣の直線部分のアーケードよりも高く、上部は非常に細かく仕切られたフランボワイヤン様式の柱になっています。内陣の二重の後陣回廊は、素晴らしいフランボワイヤン様式のまとまりをなしています。柱から数多くのリブが円柱の上まで下がっている様は、棕櫚の林のようです。後陣の中央柱の上では、リブは柱身に沿って螺旋に伸びているのが見られます。オルガンを飾っているのはルイ15世風の素晴らしいオルガンケースです。このオルガンの後ろには16世紀の「エッサイの木」のステンドグラスが隠れています。他は19世紀のものです。  (「サン・セヴラン教会 – 西の街から」より)]

[サンジャック通りから見たサンセヴラン教会・wikipedia-photo、ヤシの木の形をした柱・wikipedia-photo]

サンセヴラン教会 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向がサン・セヴラン教会です。

カメラ位置はサン・セヴラン教会祭壇前です。

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