パリ市立史料館(オテル・ラモワニョン)

マーカーはパリ市立史料館(オテル・ラモワニョン)です。

パリ市立史料館(Bibliothèque Historique de la Ville de Paris)
[パリ市歴史図書館はマレ地区にある史料館。専門的な公共図書館で、パリイル・ド・フランスの歴史に関する書物を所蔵しています。貴族の館であるオテル・ラモワニョン(Hôtel d’Angoulême Lamoignon)を改装して1969年にオープン。16世紀に建てられたルネサンス様式の館は美しく、一方館内では最新のコンピュータを使った検索システムが完備されています。パリの歴史を学びたい人とっては貴重なアーカイブ施設といえます。
住所:24 rue Pavee 75004 Paris
最寄りメトロ:サン・ポール(Saint-Paul)  (「パリ市歴史図書館|パリ名所案内|パリ観光の写真|Photo of」より)]

[1658年、王室弁護士ラモワニョンLamoignon が「ラモワニョン館Hôtel de Lamoignon」(4区)に住み始める(「館」最後の城主、現在「パリ市史料館Bibliotheque historique de la Ville de Paris」)。  (「フランスとパリの歴史 17世紀後半 – 簡単無料ホームページ作成」より)]

[駅名は、フランス革命(1787年 – 1799年)の時代にギロチンで処刑されたアカデミー・フランセーズ会員のクレティヤン・ギヨーム・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブにちなんで名付けられた。  (wikipedia・マルゼルブ駅より)]

[座席番号38 – ギヨーム=クレティアン・ド・ラモワニョン・ド・マルシュルブ Guillaume-Chrétien de Lamoignon de Malesherbes 1775年-1794年、政治家・行政官。断頭(ギロチン)刑  (wikipedia・アカデミー・フランセーズの会員の一覧より)]

[クレチアン=ギョーム・ラモワニョン・ド・マルゼルブは1721年12月6日、フランスの法服貴族の名門ラモワニョン家の5人目の子供としてパリで誕生しました。
フランス革命時までには、すでに隠居生活を送っていたマルゼルブは、ルイ16世(在位:1774年 – 1792年)の裁判が行われることを知ると、自ら国民公会に手紙を書き送り国王の弁護を申し出、弁護人となりました。
そのことが、マルゼルブ本人と、そして彼の家族までもがギロチンの刑に処され革命の犠牲者となったとあるのです。王党派とみなされ処刑されたのです!
フランス革命当時の1794年4月22日、クレチアン=ギョーム・ラモワニョン・ド・マルゼルブが革命広場(現コンコルド広場)の断頭台で72年の生涯を閉じました。この日マルゼルブは、長女アントワネット・テレーズ・マルグリットとその娘(マルゼルブの孫)アリーヌ・テレーズとその夫シャトーブリアン(作家フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンの兄)と共に処刑されました。反革命文書を隠匿していたという罪で。しかもマルゼルブは彼等(娘、娘夫婦)の処刑を見届けさせられ最後に断頭台に登ります。
その二日前には長女アントワネットの夫ロザンボが、そして5月10日にはマルゼルブの姉セノザン夫人アンヌ・ニコルがルイ16世の妹マダム・エリザベトと共に断頭台の露と消えました。
その後、国王の弁護という危険な任務を恐れず命を賭した彼を称えた「マルゼルブ通り」が誕生したのでした。マルゼルブ駅も同様です。  (「マルゼルブ通り : ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~」より)]

アングレーム・ラモワニョン館 – Google Map 画像リンク」、「パリ市立史料館 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向がパリ市立史料館(Bibliothèque Historique de la Ville de Paris)です。

パリ市立史料館(Bibliothèque Historique de la Ville de Paris)前庭のカメラです。

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