パレ・ド・ジュスティス

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パレ・ド・ジュスティス
[パリのパレ・ド・ジュスティス(Le palais de justice de Paris、パリ司法宮)は、フランスパリ1区シテ島にあり、島の約3分の1を占める建物(パレ・ド・ジュスティス)である。破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が置かれている。
建物は次の各通りに面している :
●北 ロルロージュ河岸
●東 パレ大通り
●南 オルフェーブル河岸
●西 アルレー通り(なお、アルレーは初代パリ高等法院長の名。)及びドフィーヌ広場
パレ・ド・ジュスティスは、かつての王会(国王顧問会議)の建物である。王会は、パリ高等法院や他のあらゆる旧・終審裁判機関(元帥裁判権など)及び現在も残る終審裁判機関(破毀院及びコンセイユ・デタ)、さらに会計検査院、大法官府などからの上訴を受けていた。パレ・ド・ジュスティスは、元々カペー朝時代の王宮だったシテ宮に起源があり、調理場付きの大広間、コンシェルジュリーサント・シャペル、複数の塔及び様々な建物の用地など王宮当時の遺跡が残っている。
シャルル5世( 在位:1364年 – 1380年)の治世下、シテ宮からサン・ポール館への居城の移転が決定されたが、パリ高等法院や会計検査院、大法官府など司法機構はそのままシテ宮に残された。
この宮殿は複数回の火災に遭っている。1601年、ホールに被害が及び、フランス王の木像コレクションが失われた。1618年、大広間に猛威を振るい、サロモン・ド・ブロスに再建が託された。1630年、サント・シャペルの尖塔が炎の犠牲となり、続いて1737年には会計検査院が同様の被害を被った。1776年、ルイ16世(在位:1774年5月10日 – 1792年8月10日)の治世下、コンシェルジュリーとサント・シャペルとの間の部分が火災に焼き尽くされた。
中庭(Cour du Mai)にそびえ立つファサードは、建物の主玄関で、1783年から1786年にかけて、列柱を伴う新古典主義様式で修復された。中庭を飾る壮大な柵は、鍛造された鉄製で、金箔を用いてとても精巧な細工が施されている。この柵は、1776年に金具制作の名匠Bigonnetによって、制作された。フランス革命期の1793年4月6日から1795年5月31日まで、ここに革命裁判所が置かれた。
フランス復古王政期(1814年 – 1830年)のパレ・ド・ジュスティスは、政治的に新たな次元に達し最初の修復工事が計画された。7月王政(1830年 – 1848年)下で、壮大な建物の増床計画が開始され、ジャン=ニコラ・ユイヨが、荘厳な大建造物の増床及び防火計画の統括を任された。ユイヨの死後1840年、建築家ジョセフ=ルイ・デュックとオノレ・ドメは、この計画実現のために指名された。しかし、2月革命勃発のために、彼らを任命したルイ・フィリップ(在位:1830年 – 1848年)がこの工事の完成を見ることはなかった。計画が順調に進むようになったのは、ナポレオン3世(在位:1852年 – 1870年)治世下に至ってからである。
1870年の普仏戦争でナポレオン3世が退位する一連の出来事が起こった頃に、工事はほぼ完成した。しかし、1871年5月24日、崩壊寸前のパリ・コミューン によって、パレ・ド・ジュスティス内の様々な場所に火が放たれた。この火事によって、四半世紀に及んだ工事はほぼ無に帰し、そこから工事を再開せざるを得なかった。デュックが1879年に亡くなった後、ドメが新たに建物の建築責任者に任命された。計画は復旧し、工事は1883年に再開した。もっとも、コンシェルジュリーはこの年に完成した。1914年以降、パレ・ド・ジュスティスにはこれほど大規模な工事はなされていない。
新古典主義様式の南側ファサードには、1944年8月のパリの解放時の多数の弾痕が刻まれている。
アルレー通りに面した西側ファサードwikipedia-photo、cour du Mai(中庭)の鉄柵・wikipedia-photo、「cour du Maiでは、恐怖政治期、死刑を宣告された受刑者の一団が駐留させられた。奥は東側のファサード。」・wikipedia-photo、「オルフェーヴル河岸に面した建物は、検事局に割り当てられている。」・wikipedia-photo、アルレー通りに面した西側のファサード(重罪院の入口)・wikipedia-photo、「初代パリ高等法院長の名を冠したアシル・ド・アルレー広間(建物西端にある。)」・wikipedia-photo、19世紀前半の様子・wikipedia-photo、「パリ・コミューン による放火後の新しいホール」・wikipedia-photo
1380年(左)と1754年(右)の地図

  (wikipedia・パレ・ド・ジュスティス_(パリ)より)]


[19世紀の建築家ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによる16世紀初頭のシテ宮殿の図面。サント・シャペルは画面中央上側のAのラベルがある場所である。Xがcour du Mai(中庭)、Iが大広間です。  (wikipedia・シテ宮殿より)]

パレ・ド・ジュスティス – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が、cour du Mai(中庭)の鉄柵です。

cour du Mai(中庭)のカメラです。

パレ・ド・ジュスティスエントランスホール

カメラ位置は、cour du Mai(中庭)東側にある大広間で、カメラ南南西方向がエントランスホールになります。

cour du Mai(中庭)東側にある大広間

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