ヴィクトル・ユゴー記念館

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ヴィクトル・ユゴー記念館
[ヴィクトル・ユゴーの旧宅を改造し、ゆかりの品々を展示している。ヴォージュ広場の南側に位置している。  (wikipedia・4区_(パリ)より)]

[ヴィクトル・ユゴーは、1829年8月29日から9月24日に『エルナニ』を執筆した。10月5日にコメディ・フランセーズ座で上演する運びとなった。古典派の常識を逸脱したこの戯曲はたちまち問題となり、『エルナニ』公演の初日、開幕前からロマン派と古典派のこぜりあいが始まり、幕が上がるとこぜりあいは一気に暴動に転じた。いわゆる『エルナニ合戦』である。これ以降、ユゴーはロマン派と古典派の戦いに巻き込まれることとなる。しかし、この『エルナニ』はロマン派を世界文学の主流に据えるきっかけをつくり、公演は大成功を収める。『エルナニ』で大成功をおさめ、ロマン派の詩人・作家として名声と富に恵まれたユーゴーは、1832年10月8日、ジョン・クージョン通りの家を引き払い、ロワイヤル広場(現在のヴォージュ広場)にある赤いレンガ造りの豪華な邸宅に引っ越す。  (wikipedia・ヴィクトル・ユーゴーより)]

[ヴォージュ広場は、アンリ4世の統治下だった1612年に完成したパリでもっとも古い広場で、当時は「王の広場」と呼ばれていました。赤レンガと白い石のコントラストが美しい建物が、広場をぐるりと囲んでいますが、これらは王の命で造られたもので、17世紀特有のスタイルだそう。いまもパリでもっとも美しい広場のひとつです。この豪奢な建物のひとつ、“ローアン・ゲメネ館”と呼ばれる建物の2階、280㎡の広さのアパルトマンに、ヴィクトル・ユーゴーは1832年、アデール夫人と4人の子供とともに引っ越してきました。「エルナニ」(1929年)、そして「ノートルダム・ド・パリ」(1931年)が大成功を収めた後、30歳のときです。ローアン・ゲメネ館という名前は、かつてこの建物を所有していたド・ゲメネ大公、ルイ・ド・ローアンの2氏の名前にちなんでいます。19世紀終わりにパリ市に売却され、分割されて、アパルトマンとして利用されていましたが、1902年、ヴィクトル・ユーゴーの生誕100年を記念して、記念館にすることが決定。1903年にオープンしました。ユーゴーが所有していた家具などは競売にかけられて散逸していましたが、ユーゴーの友人が買収して、この記念館に集められたそうです。  (「著名人が暮らしたパリのアパルトマン(その1) ヴィクトル・ユーゴー | パリ」より)]

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カメラ南方向2階・フランス国旗が掲げられている部屋がヴィクトル・ユゴー記念館です。

ヴィクトル・ユゴー記念館入場口前のカメラです。

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