ヴィスコンティ通り

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    ヴィスコンティ通り(Rue Visconti)
    [1826 年、バルザックはマレーサンジェルマン通り(現在のヴィスコンティ通り)17 に移って印刷業を始める。1827 年、かれは、知人のロエヴ=ヴィルマルス宛にこう書いている,「読者は,わたしの凡庸さを情け容赦なく証明しました。そこでわたしは読者の味方となって文学者を忘れ活字屋に入れ替わりました」と。つまり、文学修業を放棄したのである。
    ヴィスコンティ通りは、セーヌ通りと西へ 200 メートルほどの距離をおいてほぼ平行しているボナパルト通りの間に挟まれた、狭い短い通りである。ボナパルト通りもセーヌ通りも古くからのしゃれた町で、さまざまな商店でにぎわっているが、一言でいえば、画廊の町、美術の町と称してさしつかえないであろう。
    左側 24 番地の二階建ての古い建物の壁の,「ここにラシーヌ死す、1699年 4 月 21 日」という標示が目にとまる。17 番地の、三階建ての 2 階正面に、「この家で,《人間喜劇》の作者バルザック、印刷所を開設する」とのプレートがかかっている。  (「バルザック – 大阪芸術大学グループ」より)]

    ヴィスコンティ通り(Rue Visconti)|パリの通り案内

    カメラ位置はセーヌ通りで、カメラ西北西方向がヴィスコンティ通りです。

    カメラ南南西方向がバルザックの印刷所開設場所で、二階壁にプレートが設置されています。

    カメラ位置はヴィスコンティ通り24番地のジャン・ラシーヌの生涯地前です。

    カメラ位置はボナパルト通りで、カメラ東方向がヴィスコンティ通りです。