サン・ローラン教会

マーカーはサン・ローラン教会です。

[旧港Vieux Port
街の中心部にあり、港独特の雰囲気が漂います。2,600年前にギリシャ人によって発見されたラシドンの入り江は、今や3,500隻のヨットやモータボートを迎え入れる港として姿を変えました。旧港の周囲には見事な建築遺産が集まり、サン・ニコラ要塞(le Fort Saint-Nicolas)、サン・ジャン要塞(le Fort Saint-Jean)、ファロ宮(le Palais du Pharo)、サン・ローラン教会(l’eglise Saint-Laurent)、市庁舎(l’Hotel de Ville)、市立病院(l’Hotel Dieu)、そして有名なアクールの鐘楼(le clocher des Accoules)があります。鮮魚市が立ち、シーフードレストランが数多く軒を並べることから、マルセイユ市内でもとくに賑わう場所です。  (「見所とモニュメント」より)]

サン・ローラン教会(Église Saint-Laurent de Marseille)
[サンローラン教会はプロヴァンスロマネスク様式の教会で、サンジャン要塞近くのマルセイユ2区(2e arrondissement de Marseille)にあるトゥレット通り(Esplanade de la Tourette)16番地にあり、その名前が付けられた丘の上にあります。 マルセイユの漁師の教区です。
地理的な場所
サン・ローランの丘にあり、今日「ラ・トゥレット(La Tourette)」と呼ばれていますが、この教会はバボン城(château Babon)の近くにあります。周辺地域の発掘調査では、マルセイユ市の設立当初からギリシャ人の居住地の存在が示されています。1952年に丘のふもとで、再利用に使用された古風なイオニア式柱頭が発見されました。これは、正確な場所を指定したのではなく、聖域、おそらくアポロ神殿の存在を示唆しています。 サンローラン教会がその場所に建てられたことを確認するものは何もありません。このイオニア式柱頭は、マルセイユ歴史博物館に展示されています。
歴史
870年、バボン(Babon)司教は838年と842年のサラセン人の略奪、イベリア半島イスラム教徒の征服に続く襲撃の後、都市を保護するために要塞化された囲いを建設しました。12世紀の終わりまたは13世紀の初めに、経済的および政治的な安定がついに取り戻され、サンローラン教会がこの場所に建てられました。
1249年、ブノワ・アリーガン(Benoît d’Alignan)の時代にサン・ローラン教会はマルセイユのマルセイユ大聖堂4番目の教区になりました。 建物は17世紀の初頭と末に改修されました。17世紀初頭、後陣は八角形の鐘楼を建設するために再建され、塔にはタレットに設置されたらせん階段があります。反対側の西側では、1668年にサンジャン要塞の建設中にスパンが削除されました。この西の正面にあったメインドアは南側に移動されました。
1720年8月10日、マルセイユ司教であるベルサンス(Belsunce)はペストの流行の真っただ中でしたが、漁師の網元と漁船に囲まれてこの教会のドアの前でミサを祝いました。漁師地区の中心であるサン・ジャン(sanjanen)に建てられ、13世紀半ばに教区になりました。フランス革命の間、ヴィカルブゾン(Vicar Bouzon)は1794年1月11日に教会の家具と銀器の在庫を引き渡さなければなりませんでした。1794年3月3日に銅または銀であったものはすべて、コインショップに送られてインゴットに変換されました。1801年に再開するまで、教会は軍事装備の倉庫として使用するために閉鎖されました。1943年、この教会はナチス・ドイツによる旧港の旧市街の爆破を免れましたが、爆発によって激しく揺れました。
サンローラン教会はプロヴァンスロマネスク様式で、シンプルで袖廊がありません。
洗礼堂は1921年10月6日の法令により歴史的建造物として分類され、教会は1950年9月13日の法令により分類されています。
港から見た聖ローレンス教会・wikipedia-photo、ファザード・wikipedia-photo、サンジャン要塞からの眺め・wikipedia-photo、西側からの眺め・wikipedia-photo、教会の入り口・wikipedia-photo、身廊と祭壇・wikipedia-photo、身廊と右通路・wikipedia-photo]

Église Saint-Laurent de Marseille – Google Map 画像リンク

カメラ北方向がサン・ローラン教会です。

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