マルセイユ大聖堂

マーカーはマルセイユ大聖堂です。

マルセイユ大聖堂(Cathédrale Sainte-Marie-Majeure de Marseille)
[大聖堂またはサント・マリー・マジョール大聖堂は、マルセイユ大司教区カトリック大聖堂です。
大聖堂は1852年から1893年にかけて、建築家レオン・ヴォードイヤー(Léon Vaudoyer)の計画に基づいてネオビザンチン様式で建てられました。2区(2e arrondissement de Marseille)のジョリエット地区(La Joliette)に位置し、旧港(Vieux-Port)とジョリエット港の間の遊歩道沿いにあり、オクシタンの「メジャー(Major)」という名の由来となって、12世紀の大聖堂の跡地にあります。大理石斑岩の建築とインテリアは、宗教的な建物に特有の側面を与えています。
1896年1月24日に教皇レオ13世(在位:1878年-1903年)によって小聖堂として建立されました。
5世紀以来、このサイトではいくつかの宗教的な建物が次々と続いています。 現在の大聖堂、マジョール大聖堂は、旧ロマネスク様式の大聖堂、旧マジョール大聖堂の遺跡の西側に立っています。 しかし、新しい大聖堂の設立に必要な破壊と基礎建築は、同じ場所に設立された3代前の初期キリスト教教会とガリアの最大の洗礼堂の存在を明らかにしました。
初期の大聖堂はあまり残っていません。19世紀の新しい大聖堂の建設中に、原始的な洗礼堂と同時にモザイク舗装のいくつかの破片が発見されました。これらの痕跡は消え、F.ルスタン(F. Roustan)が残した記述によってのみ私たちに知られています。F.パオーネ(F. Paone)によって行われたより最近の発掘調査では、保存された身廊の最後のスパンでモザイクの他の断片を発掘しました。クラウン石切り場のピンクの石灰岩の壁のいくつかの破片は、使用された材料がロマネスク様式の大聖堂のものに類似していたことを示しています。これらの発見を19世紀のものと比較すると、原始大聖堂は身廊に与えられた幅に応じて長さ60 m以上、幅26〜34 mでなければならなかったようです。
カロリング朝時代に修復が行われました。インターレースパターン(飛び越し)の保存された彫刻装飾がこの時代の特徴です。その後、11世紀半ばに後陣を再建したのはポンス1世(Pons I)司教で、白い石灰岩を使用することで原始的な大聖堂と区別されました。
古い大聖堂は12世紀にロマネスク様式で建てられました。新しい大聖堂の建設を可能にするために破壊しなければなりませんでしたが、抗議に直面して、クワイヤと、1つのスパンが保持されています。
ラテン十字のクロスプランは、レオン・ヴォードイヤーによってビザンティン様式で設計されています。新しい大聖堂の建設は1852年に着手され、レオン・ヴォードイヤーは1872年に亡くなりました。聖堂建築を引き継いだ建築家のジャック・アンリ・エスペランデュー(Jacques Henri Esperandieu)は、レオン・ヴォードイヤーの弟子であり協力者であり、金属フレームワークの設置とドームの実現を行います。 彼は1874年に亡くなりました。その後、アンリ・アントワーヌ・レヴォイル(Henri Antoine Révoil)が建築責任者となり大聖堂を完成させました。
大聖堂は1893年11月30日にジャン・ルイ・ロバート(Jean-Louis Robert)大司教の手に渡り。1896年1月24日に教皇レオ13世によって小聖堂として建立され、1897年5月6日に奉献されました。
アンリ・アントワーヌ・レヴォイルの一般計画(1893)

マルセイユ大聖堂外観・wikipedia-photowikipedia-photo、ファザード・wikipedia-photo、マルセイユ大聖堂マルセイユ港から見た西側・wikipedia-photo、正面玄関のドア・wikipedia-photo、中央身廊・wikipedia-photo、ドーム・wikipedia-photo]

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カメラ北方向が、マルセイユ大聖堂です。

マルセイユ大聖堂身廊のカメラです。

マルセイユ大聖堂中央祭壇前のカメラです。

マルセイユ大聖堂中央祭壇の東側礼拝堂前のカメラです。

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