レンチェ広場

マーカーはレンチェ広場です。

[旧市街「パニエ地区」(Vieille Ville, le Panier)。細く曲がりくねった路地など中世の都市構造が、現在も旧港の北岸、ムーランの丘の上にある「パニエ地区」に残る。この地区にはマルセイユの中でももっとも古い建造物を見ることができる。古代ギリシア古代ローマ時代の遺構から 16 世紀(ダイヤモンド型の壁面をした邸宅)、また 17~18 世紀(施療院、市立病院…)の建築が揃う。現在再整備中のこの地区には現在、多くの手工芸職人が集まり、サントン人形のアトリエ、石鹸のショップ、チョコレート屋、陶器や焼き物の店など新しい店が増えている。  (「マルセイユ – Office du Tourisme et des Congrès de Marseille」より) ]

レンチェ広場(Place de Lenche)
[旧港の近く、市庁舎の後ろにあるレンシュ広場は、マルセイユの2区(2e arrondissement de Marseille)にあります。
レンチェ広場は古代から知られた場所で、2600年前、古代ギリシアがアゴラを作り、その後古代ローマがフォルムを作った場所です。
5世紀にサン・カッシアン(saint Cassien)はサン・ソヴール(Saint-Sauveur)と呼ばれる修道院を設立し、8世紀にサラセン人の侵略により荒廃しました。伝説によると、修道女たちは、侵略者を恐怖に陥れるために、彼女達の聖なる大修道院長ユーセビア(Eusébie)の鼻を切った。彼らは「desnarados」と呼ばれました。 この修道院からは、サン・ソヴールのセラー(貯蔵目的の地下室や穴蔵)のみが残っており、その正確な位置は多くの議論がされています。これらは食料貯蔵室となっています。
この広場の東には、ミラボー家によって建てられ、1660年にマルセイユに来たときにフランス王ルイ14世(在位:1643年 – 1715年)が宿泊した邸宅がありました。この建物は19世紀の終わりに取り壊されました。
この広場の名前は、16世紀にマルセイユに定住し、この広場に大邸宅を建てたコルシカ島起源のレンチェ家(リンチウ、「linʃiu」と発音)に由来しています。トーマス・レンチェ(Thomas Lenche)は、アルジェリアのフランスの要塞から北アフリカとマルセイユの間の商業リンクを運営する壮大なサンゴ輸入会社を設立しました。
彼の甥であるアントワーヌ・レンチェ(Antoine Lenche)は、ユグノー戦争中に王党派の味方になった。 2番目の領事に選出され、1588年に暗殺されました。
レンシュ広場の概観・wikipedia-photo、広場のパン屋さん・wikipedia-photo]

[古代ギリシア人がマシリアの街を築いたときにできたとされるマルセイユで一番歴史の古いレンチェ広場。旧港を眺めるカフェのテラス席が気持ちいい。広場沿いにオープンしたばかりの「王様のアイスクリーム」という名の店では、店員が皆、王様風の仮装でお客をもてなしていた。  (「アスパラトラベル『古代からの港町 (仏マルセイユ 2)』」より)]

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カメラ西南西方向がレンチェ広場で、カメラ西北西方向がモンテ・デ・ザクルになります。

カメラ位置はレンチェ広場です。

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