ガッリエーラ門

マーカーはガッリエーラ門です。

城壁と城門(Mura e Porte)
[旧市街は防御の目的で城壁に囲まれていましたが、人口の増加に伴い街が大きくなるにつれて城壁も建て替えられ三重になりました。最も古いものは4世紀にまでさかのぼるという説もありますがはっきりとは分かっていません。材料である石膏の名をとり「セレニテの城壁」と呼ばれています。
その後11世紀に「1000年の城壁」と呼ばれる全長3.5kmの城壁が造られました。全部で17あった城門のうち四つが現存していてサン・ヴィターレ通りやカスティリオーネ通り、ピエッラ通りのそれぞれ中程にあります。
13世紀には全長7.6kmとさらに長い城壁が造られ、12の城門が設けられました。残念ながら20世紀の初めに環状道路(Viale)を建設するために城壁は取り壊されましたが、九つの城門は完全な形のまま残っています。この城壁を全て見るには時間がかかりますのでお勧めできませんが、どうしても全部見たい方は中央駅から環状道路を一周する32番か33番のバスに乗るのが便利です。  (「ボローニャの裏観光スポット:イタリア旅行のガイドブックとして …」より)]

ガッリエーラ門(Porta Galliera)
[ガッリエーラ門は、ボローニャの13世紀の城壁の門の1つです。
ガッリエーラ門は、ボローニャの歴史的中心部の北端に位置し、デル・インディペンデンツァ通り(via dell’Indipendenza)終点にあり、ボローニャ中央駅近くにあります。ガッリエーラ(Galliera)及びフェラーラ(Ferrara)への防衛拠点として、 1200年頃に初めて建てられました。
門のすぐ東、モンタニョーラ公園の階段の前に、ベルトランド・デル・ポゲッティ枢機卿(Bertrando del Poggetto)は1330年にガッリエーラ門要塞の建設を命じました。これは教皇ヨハネス22世(在位1316年 – 1334年)を歓迎する目的でしたが、1334年に教皇国家に反抗したボローニャの人々によって破壊されました。要塞は何世紀にもわたって教会当局によって再建され、市民によって何度も破壊されました。現在、発掘により遺跡が出現しています。
ガッリエーラ門は1848年8月8日の暴動(1848年革命)の最後の出来事に遭遇します。ガッリエーラ門は、他のすべて門が市民によって奪われて閉じられた後も開いたままでした。この門を通りオーストリアの兵士は街を去りました。円蓋の内側に置かれた石膏板は、その状況で倒れたボローニャの人々を思い起こさせます。
ガッリエーラ門の最初の建物は、最初に設計された壁が木製の柵として建てられた13世紀に建てられました。石造りの建物は要塞と同じ年に建てられ、教皇の要塞と同じように、ガッリエーラ門も同じ運命をたどりました:解体と再構築を数回繰り返し、1660年から1663年の間に現在の機能で再構築されました。
ガッリエーラ門は、13世紀の壁の他の門と同様に、2007年から2009年にかけて大規模な修復作業の対象となりました。
ガッリエーラ門・wikipedia-photo、正面・wikipedia-photo、紋章・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、ガッリエーラ門の画像またはその他のファイルが含まれています。]

[駅前からだと、このガッリエラ門から歩くのが旧市街の中心に一番近い。ガッリエラ門を抜けると、正面と左、2つの通りがある。左側のVia delle Indipendezaを通ると、旧市街の中心であるマッジョーレ広場に直接出られる。  (「「大学」発祥の地、ボローニャへ 2009年末年始・イタリア – フォー …」より)]

シルコンヴァラツィオーネ通り(viali di Circonvallazione)図

Porta Galliera, Bologna – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向がガッリエラ門です。

ガッリエラ門内側のカメラです。

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