マッジョーレ門

マーカーはマッジョーレ門です。

城壁と城門(Mura e Porte)
[旧市街は防御の目的で城壁に囲まれていましたが、人口の増加に伴い街が大きくなるにつれて城壁も建て替えられ三重になりました。最も古いものは4世紀にまでさかのぼるという説もありますがはっきりとは分かっていません。材料である石膏の名をとり「セレニテの城壁」と呼ばれています。
その後11世紀に「1000年の城壁」と呼ばれる全長3.5kmの城壁が造られました。全部で17あった城門のうち四つが現存していてサン・ヴィターレ通りやカスティリオーネ通り、ピエッラ通りのそれぞれ中程にあります。
13世紀には全長7.6kmとさらに長い城壁が造られ、12の城門が設けられました。残念ながら20世紀の初めに環状道路(Viale)を建設するために城壁は取り壊されましたが、九つの城門は完全な形のまま残っています。この城壁を全て見るには時間がかかりますのでお勧めできませんが、どうしても全部見たい方は中央駅から環状道路を一周する32番か33番のバスに乗るのが便利です。  (「ボローニャの裏観光スポット:イタリア旅行のガイドブックとして …」より)]

マッジョーレ門(Porta Maggiore)
[マッジョーレ門は、ボローニャの13世紀の城壁の門の1つです。
マッジョーレ門は、エミリア街道(via Emilia)に沿って歴史的中心部の東端にあり、現在のシルコンヴァラツィオーネ通り(viali di Circonvallazione)との交差点で、マッジョーレ通り(Strada Maggiore)からマッツィーニ通り(via Mazzini)に名称が変更される地点にあります。
ボローニャはエトルリア人都市、そしてローマ植民地として、エミリア街道に沿って発展してきた。エミリア街道は今もストラーダ・マッジョーレ、リッツォーリ、ウーゴ・バッシ、そしてサン・フェリーチェという通り名に変わって市内を真っ直ぐ走っている。
レンガで作られた13世紀後半に初めて建てられたこの建物は、何世紀にもわたってボローニャの正門でした。
1507年、教皇ユリウス2世(在位:1503年 – 1513年)は古い要塞を強化するため、入口門をさらに北に移動させ要塞の高い部分に跳ね橋用巻き上げ機を構築し、壁に新しい開口部を設けました。その後、入口に新しい橋が建設され、徐々にエミリア街道と再調整されました。 17世紀初頭、サンタ・マリア・デッリ・アレマンニ(Santa Maria degli Alemanni)に通じる柱廊がマッジョーレ門の外側に建てられました。
その後、ポルタは建築家ジャン・ジャコモ・ドッティ(Gian Giacomo Dotti)の設計に基づいて1770年に再建されましたが、1903年に解体が布告されました。しかし、1909年に解体作業が開始されると、城門保存につながる議論が行われ、残りの遺跡は建築家アルフォンソ・ルッビアーニ(Alfonso Rubbiani)によって保存および修復されました。
マッジョーレ門は、3番目の城壁の他の門と同様に、2007年から2009年の間に大規模な修復工事の対象となりました。
マッジョーレ門・wikipedia-photo
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シルコンヴァラツィオーネ通り(viali di Circonvallazione)図

Porta Maggiore – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向がマッジョーレ門です。

マッジョーレ門外側のカメラです。