ラメ門

マーカーはラメ門です。

城壁と城門(Mura e Porte)
[旧市街は防御の目的で城壁に囲まれていましたが、人口の増加に伴い街が大きくなるにつれて城壁も建て替えられ三重になりました。最も古いものは4世紀にまでさかのぼるという説もありますがはっきりとは分かっていません。材料である石膏の名をとり「セレニテの城壁」と呼ばれています。
その後11世紀に「1000年の城壁」と呼ばれる全長3.5kmの城壁が造られました。全部で17あった城門のうち四つが現存していてサン・ヴィターレ通りやカスティリオーネ通り、ピエッラ通りのそれぞれ中程にあります。
13世紀には全長7.6kmとさらに長い城壁が造られ、12の城門が設けられました。残念ながら20世紀の初めに環状道路(Viale)を建設するために城壁は取り壊されましたが、九つの城門は完全な形のまま残っています。この城壁を全て見るには時間がかかりますのでお勧めできませんが、どうしても全部見たい方は中央駅から環状道路を一周する32番か33番のバスに乗るのが便利です。  (「ボローニャの裏観光スポット:イタリア旅行のガイドブックとして …」より)]

ラメ門(Porta delle Lame)
[ラメ門は、ボローニャの13世紀の城壁の門の1つです。
ラメ門はラメ通り(via Lame)の終わりにあり、そこから通りの名がザナルディ通り(via Zanardi)に変わります。ここは、環状道路シルコンヴァラツィオーネ通り(viali di Circonvallazione)との交差点にあります。13世紀に初めて建てられました。
門は、サラーラ(salara・塩鉱床として使用された古代の倉庫)と市の港(※ボローニャの河川図でPortと記述されている場所)近くにあり、建設された道路の脇から、湿地となっていました。このことからラメ門と呼ばれました。(「Lame」はラテン語で沼地を意味します)。当初は屋根付きの木枠で囲われ、1334年には2つの跳ね橋が装備されていました。1つは荷車用、もう1つは歩行者用です。1674年から1677年の間に中世の城塞が解体され、新たに再建され、現在のバロック様式の建物が建てられました。
1944年11月7日、パルチザンはドイツ軍との厳しい戦いを行い、ついに勝利を収めました。ラメ門の戦いは、第二次世界大戦中のナチ・ファシスト部隊と都市内のパルチザンとの間の最も重要な戦いとして記憶されています。
2007年から2009年の間に行われた修復作業により、ラメ門はかつての形態を取り戻しました。(外側には、パルチザンに捧げられた2つのブロンズ像があります)。
ラメ門・wikipedia-photo
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ボローニャの河川図

シルコンヴァラツィオーネ通り(viali di Circonvallazione)図

Porta Lame – Google Map 画像リンク

ラメ門内側のカメラです。

ラメ門外側のカメラです。