ポンペイの紹介は「ポンペイ遺跡ガイド – Pompei」によりまとめています。また、ポンペイの遺跡確認には「PompeiiinPictures」「Pompeii Sites」が大変参考になります。
「PompeiiinPictures」はページにアクセスし上部「PompeiiinPictures」の下のドロップダウンリストから区域 I – IX ページ及び項目別ページに移動して検索してください。区域ページを開くと右上にポンペイの区域図が表示され、左上に該当区域図が表示、その下に中区域図が表示されますので「Go to Pompeii 小区域番号」から「小区域番号」ページに移行して「該当ページ」に移行してください。
「Pompeii Sites」はページ上にポンペイの地図が表示され、そこには遺跡番号が印されていますので、地図を拡大し該当施設番号を検索クリックすると、地図下に該当施設説明文が表示されます。
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紀元前6世紀に建設されたとされるポンペイは、紀元前80年以降ローマ帝国の傘下に入った。当時のポンペイは海に面した港町で、ローマの文化が多く流入する中で発展していた。港は地中海貿易の拠点として栄え、長らく噴火のなかったヴェスヴィオ山の斜面ではブドウなどの栽培が営まれていた。ポンペイでは羊毛加工と並び、ワインの醸造が主要な経済活動のひとつとなっていたのである。
しかし、1世紀には地震が頻発するようになり、西暦62年2月に、その中でも特に規模の大きい地震が一帯を襲い、ポンペイのみならず、近隣の高級保養地ヘルクラネウムなどにも大きな被害をもたらした。現代では、これらの地震はヴェスヴィオ山の活動と関連があったと見なされているが、当時の人々は62年の大地震によって災害のピークは過ぎたと誤認していたという。そして震災からの復興の途上にあった西暦79年8月24日にヴェスヴィオ山は大噴火した。この噴火は13時頃に始まり、水蒸気爆発のあと、大量の軽石が噴出し、周囲に堆積していった。軽石の堆積は1時間当たりにおよそ15cmのペースであったとされ、同じ日の18時には屋根に堆積した軽石によって潰される家屋が出はじめたという。この間、断続的に火砕流が起きたと考えられているが、その最大規模のものは翌朝7時に発生し、周辺の町を住民もろとも飲み込んだ。大プリニウスも近隣の町スタビアエ(Stabiae)でその火砕流に遭遇し、命を落とした。噴火はその火砕流の少し後、8時頃まで実に約19時間持続していたという。 (wikipedia・ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域より)
噴火日についての論争
壊滅的な被害を受ける噴火の発生日は79年8月24日とされているが、18世紀に発掘が開始されて以来、発見された衣類、農作物などから実際に噴火したのは8月24日より後である可能性が示唆されていた。また、2018年の発掘調査では家屋の壁に「11月の最初の日からさかのぼって16番目の日」と書かれているのが発見された。これにより、実際に噴火が発生したのは79年10月17日以降である可能性が指摘されている。 (wikipedia・ポンペイより)
ポンペイ・スカーヴィ(秘儀荘駅)、マリーナ門側入場ゲート、郊外の浴場、マリーナ門と外壁、古代ローマのヴィラ、ポンペイ考古学博物館、ヴィーナスの聖域、ロムルスとレムスの家、トリプトレモスの家、船員の家、バジリカ、アポロンの聖域、ポンデラリアの食堂、フォロの穀物倉(フォーラム・ギャラリー)、公共トイレ(クロアキナ)、アウグストゥスの凱旋門、ティべリウス帝の凱旋門、ジュピターの神殿(カピトリウム大神殿)、フォロ、大きな食物市場(Macellum)、公共のラル神、アウグストゥスの守護神の神殿(ヴェスパシアヌスの神殿)、アウグストゥスの調和の回廊(エウマキアの建物)、コミティウム(民会所)、公共の建物、シャンピオネの家、幾何学模様のモザイクの家、少年たちの体育館、カロリーヌ女王の家、イノシシの家 I.
マルコ・ファビオ・ルフォと黄金の腕輪の家、フォロの浴場、フォルトゥーナ・アウグスタの神殿、カリギュラ帝の凱旋門、古代の狩りの家、ポピディウス・プリスクスのパン屋、デルオルソの家、ルパナーレ(遊郭)、シリクスの家、スタビアの浴場、コルネリイイの家、赤い壁の家、植物園
三角のフォロ、ドリス式神殿-アテナとエルコレの聖域、サンニウム人の体育場、イシス神殿、エスクラピウスまたはメイリキオのジュピターの神殿、大劇場、小劇場-オデイオン、劇場のクアドリポルティコ・剣闘士の兵舎、スタービア門
幸せな恋人達の家、メナンドロスの家、チェイイの家、M. エピディウス・ルーファスの家、チェトラ奏者の家、カスカ・ロングスまたは演劇モチーフの小絵画の家、ステファヌスのフロニカ、アキレスのラル神の家、クリプトポルティコの家、アセリナのテルモポリウム、パクイウス・プロクルスの家、ファビウス・アマンディウスの家、サセルドス・アマンダスの家、エフェボの家、四つの様式の家、ヴェトゥティウス・プラキドゥスの家とテルモポリウム、貞節な愛人のインスラ、ジュリオ・ポリビオの家、果樹園または草花装飾の寝室の家、アーチの家、トレビオ・ヴァレンテの家、レストラン・ディ・ソテリクス、軍事協会の本部、ピナリウス・ケリアリスの家、モラリストの家、オクタヴィウス・クアルティオの家、貝のヴィーナスの家、ジュリア・フェリーチェのプラエディア、フォロ・ボアリオ、円形劇場、大運動場、屋外または夏のトリクリニウムハウス、花のララリウムの家、ワークショップのある家、ガルム工房、船エウロパ号の家、フッジャスキの菜園、ノチェーラ門と外周壁、ノチェーラ門のネクロポリス
ポンペイ・バスステーション
パンサの家、悲劇詩人の家、テルモポリウム、ファウノの家、アンカーの家、小さな噴水の家、パン焼き釜の家、サルスティオの家、外科医の家
ノーラ門と外周壁、オベリオ・フィルモの家、剣闘士の兵舎、マルコ・ルクレツィオ・フロントーネの家、子豚の家、センテナリーの家、ピグミーの家、庭のある家、オリオンの家、テルモポリウム(発掘時期:2018~2020年)、銀婚式の家、チェチリオ・ジョコンドの家、オルフェウスの家、中央の浴場、スタビアナ通りのマルコ・ルクレツィオの家
傷ついたアドニスの家、アポロの家、ディオスクーリの家、メレアグロの家、迷宮の家、ヴェッティの家、ナポリ王子の家、黄金のキューピッドの家、アラ・マッシマの家、レダと白鳥の家、カステッルム・アクアエ、ヴェスヴィオ 門のネクロポリス
エルコレ門と外壁、エルコレ門のネクロポリス、ディオメデスのヴィラ、秘儀荘