マーカーはエルコレ門のネクロポリスです。
エルコレ門のネクロポリス(Necropoli di Porta Ercolano・Necropoli di Pompei)
[エルコレ門のネクロポリスは、ナポリに向かって伸びる街道沿いに広がっていました。現在見られる墳墓は紀元前1世紀以降のものですが、場所自体はすでにポンペイの歴史の最初の世紀の頃から利用されていました。ここに見られる記念碑的な墳墓は当時の代表的なタイプを示していま す。エルコレ門から出て左側には、スコラ(ギリシア語のスコレ、スクオーラ=学校の語源)と呼ばれる、凝灰岩製の半円形の椅子型墳墓が見られます。この型の墳墓はポンペイに特徴的なタイプで、著名な市民や功のあった人に市の議会から贈られたものでした。これらの墓の一つには大きな文字で墓の主の名が刻まれています。フォロにアウグストゥスの守護神の神殿(ヴェスパシアヌスの神殿)を建てさせた公共の女祭司マミアが紀元29年に亡くなり、ここに埋葬されました。その他の墳墓は祭壇型の高い基壇の上に築かれ、ナエヴォレイア・ティケやムナティウス・ファウストゥスの墓には、劇場で最前列に座る名誉と港に入る船を表すシンボルとして、二つのベンチが表現されています。先に進むと、墓と墓の間に、多くのヴィラが点在するSuburbio、郊外地区が始まります。 (「ポンペイ遺跡ガイド – Pompei-p75」より)]
「Necropoli di Porta Ercolano – Google Map 画像リンク」
カメラ南西方向・手前の半円形の椅子型墳墓がスコラです。
カメラ位置はエルコレ門のネクロポリスです。