メリダ闘牛場

マーカーはメリダ闘牛場です。

メリダ闘牛場(Plaza de toros de Mérida)
[メリダには1460年以来、サン・グレゴリオ・オスティエンセ(San Gregorio Ostiense)同胞団によって組織された長い闘牛の伝統があり、16世紀と17世紀には、町のメイン広場では馬に乗った仮面舞踏会、花火、闘牛のショーが開催されました。
1789年までメイン広場でお祝いが続けられていますが、一般に「七人の椅子(The Seven Chairs)」として知られる古代ローマ劇場の上部遺跡、石積みの囲いの中で、少なくとも1777年以降、闘牛などの会場になりました。
サン・サルバドル(San Salvador)の門の近くに、具体的にはコラロンデ・ロス・パチェコ(Corralónde los Pacheco)として知られる1883年の木製の闘牛場の一時的な存在を確認しています。
1902年、都市の発展と共に、スペインの都市の大部分で起こっている闘牛場建設をを模倣して、「記念碑」と呼ばれる闘牛場建設を計画しました。その場所は都市の外、セロ・デ・サン・アルビン(Cerro de San Albín)で、都市の南で最も高い地点にありました。 建物は、その周辺の地域(«Ensanche»として知られるエリア)の開発を開始する以外に、都市の最も重要な視覚的ランドマークになるような方法で考えられました。
同年の1902年12月30日、エストレマドゥーラ闘牛会社が設立され、土地を譲り受けた後、フィデル・マシアス(Fidel Macías)に検討を依頼し、作業は、プロジェクトコストを評価するために、ペニャロヤ広場(コルドバ)とバダホス旧広場(現在は姿を消した)の視察検証から始まります。並行して、敷地が調査され、カサ・デル・ミトレオの遺跡に関連している可能性が非常に高いローマの彫刻が発見されました。これらの彫刻(とりわけ、アイオン・クロノ(Aion Cronos)、マーキュリー(Mercurio)、またはアナス川自体(propio río Anas)の表現)は、ホセ・ラモン・メリダ(José Ramón Mélida)によって回収され、当時のメリダ考古学博物館(現在・国立古代ローマ博物館)に入り、最も優れた彫刻群を構成しました。
1902年12月30日、メリダ闘牛場の建設が始まりますが、建物の1階がほぼ完成した1903年にエストレマドゥーラ闘牛会社の行き詰りにより停止されました。その後会社の再編成により1912年に再開され1914年7月5日に完了しました。
スペイン内戦(1936年-1939年)中の1936年8月から1939年10月まで闘牛場が共和国派(レプブリカーノス)の人民戦線軍兵士収容のフランコ強制収容所(Campos de concentración franquistas)の一部として利用され、9,000人が収容されました。]

Merida Plaza de Toros – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向がメリダ闘牛場です。

メリダ闘牛場観客席からのカメラです。

メリダ闘牛場内の360citiesです。

メリダ闘牛場・牛待機場の360citiesです。

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