リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

[ポルトガルの首都リスボンのベレン地区にあるジェロニモス修道院とベレンの塔が対象である。それらの壮麗さは、大航海時代に貿易による巨富を手にしたポルトガルの繁栄ぶりを伝えている。なお、付近の発見のモニュメント(1960年)は世界遺産関連文献で一緒に触れられることがしばしばあるものの、世界遺産登録対象ではない。それはインペリオ広場、ベレン文化センターなどとともに、緩衝地域に含まれている。
ジェロニモス修道院 – 聖ヒエロニムスにあやかったヒエロニムス会の修道院で、現在につながる本格的な建設はディオゴ・ボイタク(Diogo de Boitaca)が指揮をした1502年以降のことである。ボイタクに建設を命じたのはポルトガル王マヌエル1世(在位:1495年 – 1521年)で、その目的にはエンリケ航海王子(1394年 – 1460年)の業績を称揚する意図などが込められていた。ボイタクが指揮を執ったのは1516年までで、それを引き継いだのはジョアン・デ・カスティーリョ(João de Castilho)である。カスティーリョは1551年に没したが、その年にジェロニモス修道院の建築は主要部分の完成を見た。その後も増築などが行われ、19世紀にようやく現存する形に落ち着いた。
「ポルトガルが誇るマヌエル様式建築の最高傑作」と評されることもあるジェロニモス修道院の中でも、特に繊細な彫刻に飾られた回廊や、彫像で飾られた南門柱廊を備えた修道院付属のサンタ・マリア聖堂などの評価が高い。
マヌエル1世もジェロニモス修道院に葬られている。著名な人士ではほかにヴァスコ・ダ・ガマ、詩人ルイス・デ・カモンイス、作家フェルナンド・ペッソアらの棺も、この修道院に安置されている。
ベレンの塔 – 正式名は「サン・ヴィセンテの塔」、建造は1515年から1521年にかけてのことで、指揮したのはフランシスコ・デ・アルダ(Francisco de Arruda)であった。ジェロニモス修道院と同じく、建設を命じたのはマヌエル1世である。ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的をこめた灯台だが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていた。当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのである。
1755年にリスボンを襲った大地震では多くの建物が被災したが、ジェロニモス修道院とベレンの塔があるベレン地区は難を逃れ、さして損壊を被らなかった。ただし、その地震で川の流れが変わったことで、ベレンの塔は中洲から川岸へと、位置関係を変えた[14]。
航海に関する事物をモチーフとした装飾があしらわれたマヌエル様式建築の傑作のひとつで、作家司馬遼太郎はその優雅さを「テージョ川の貴婦人」と評した。
ベレンの塔・wikipedia-photo、角の見張り塔・wikipedia-photo、ジェロニモス修道院外観・wikipedia-photo、回廊のマヌエル様式装飾・wikipedia-photo、「発見のモニュメント(1960年)。世界遺産登録理由は大航海時代と密接に結びついているが、上述の通り、発見のモニュメント自体は世界遺産登録対象ではない。」・wikipedia-photo  (wikipedia・リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔より)]

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