グスマン・エル・ブエノ広場

マーカーはサント・ドミンゴ広場です。

グスマン・エル・ブエノ(Guzmán el Bueno)広場
[広場ロータリーにグスマン・エル・ブエノの像が建っています。]

[1284年、サンチョ4世(在位:1282年 – 1295年)は多くの町や貴族の賛同を得て即位したが、アルフォンソ10世(在位:1252年 – 1284年)の遺言を尊重するフェルナンド・デ・ラ・セルダ親王家支持派も少なくなく、その治世中は内乱が絶えなかった。
サンチョ4世の弟フアン親王ビスカヤ領主ロペ・ディアス・デ・アロと組んで反乱を起こすが、デ・アロは処刑、フアン親王は投獄された。
サンチョ4世は数千のデ・ラ・セルダ親王派支持者たちを次々と処刑した後にフアン親王を釈放するが、親王はモーロ王の支援を得て再び蜂起しタリファの町を攻囲する。この町を守っていたアロンソ・ペレス・デ・グスマンは捕らえられた息子と引きかえに城の明渡しを要求されたが、逆に息子の首を切るための剣を投げつけたという。グスマン・エル・ブエノこそカスティリア騎士の鏡!と伝えられているが、この直前まで彼はモーロ王の傭兵だった。  (「La petrista del siglo XXI 【2】カスティリア王とデ・ラ・セルダ」より)]

[タリファ港近くに、保存状態の良い城、グスマン城(タリファ城とも)がある。この城は、1296年にアロンソ・ペレス・デ・グスマン(メディナ・シドニア公家の先祖)が息子をムーア人の捕虜にされても開城を拒んだことで知られている。  (wikipedia・タリファより)]

Plaza de Guzmán El Bueno – Google Map 画像リンク

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