アルセナーレ・ディ・ヴェネツィア

マーカーはアルセナーレ・ディ・ヴェネツィアです。

アルセナーレ・ディ・ヴェネツィア
[アルセナーレ・ディ・ヴェネツィア(イタリア語: Arsenale di Venezia)は、イタリアのヴェネツィアにある中世の造船所跡。日本語でヴェネツィア国立造船所やヴェネツィア海軍工廠などと表記されることもある。ヴェネツィア共和国のヴェネツィアにある造船所を指すことが明らかな場合は、単にアルセナーレと表記されることが多い。
アルセナーレ・ディ・ヴェネツィアは、1104年にヴェネツィア共和国により設置された国立造船所である。オスマン帝国との戦争状態に入る15世紀頃がこの造船所の最盛期であり、凡そ2万人の労働者が勤務して1日に1隻のガレー船を建造していたとされる。産業革命が起こる数世紀前にも関わらず、アルセナーレではライン生産方式が取り入れられていた。中世に建造される船体にはオークカラマツモミが用いられることが一般的であった。13世紀から16世紀頃まではカラマツ材やモミ材はラエティア・アルプスやカーニック・アルプスで産出されたものが使われた。後により北のハプスブルク帝国領からも輸入されるようになる。オーク材は産出地域が広く、ヴェネト地方やフリウリ地方、イストリア地方などヴェネツィア周辺が供給地であった。アルセナーレ内にはロープや帆布を製造する工場や製鉄所も設けられていた。第一次世界大戦の頃から生産量は縮小され、第二次世界大戦後には造船所としての機能が放棄されるに至る。1983年より文化遺産保護当局により保全修復作業が行われており、一部が海洋史博物館(Museo Storico Navale)などとして公開されている以外は未公開の遺構として保存されている。現在、この造船所跡の大部分はイタリア海軍が管理しており、総面積45,550m2、うち陸上面積23,239m2である。
造船所入口(Porta Magna)・wikipedia-photo、造船所施設・wikipedia-photo  (wikipedia・アルセナーレ・ディ・ヴェネツィアより)]

[11世紀、弱体化した東ローマ帝国の要請でアドリア海沿岸の海上防衛を担うことになり、その代償として東ローマ帝国内での貿易特権を得た。
1104年に工廠(アルセナーレ)が創られ軍船の修理を始めた。1320年には軍船や大型商船の造船所となり、最大16千人が従事し、船のロープ・帆桁などを個別に生産し、一貫作業で1日1隻の造船能力があった。1370年代以降は銃器も生産され、16世紀には世界における造船・兵器製造の一大拠点となった。1797年のナポレオン支配終了まで繁栄が続いた。1593年にはガリレオ・ガリレイが技術顧問に就いている。  (wikipedia・ヴェネツィアより)]

カメラ北方向が造船所入口です。

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