フェニーチェ劇場

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フェニーチェ劇場
[フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリアヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。
イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。
フェニーチェ劇場は火災で焼失したサン・ベネデット劇場の後継(の一つ)として創建された。劇場設計案は1789年11月1日に公示された建築設計競技(コンペティション)によって公募された。
コンペにはイタリア各地(もっとも当時のイタリアは統一国家ではない)から多くの建築家が参加、記録によれば28の設計案が競合、自案を宣伝し他案を中傷するパンフレットが飛び交うなど白熱したものだったという。最終的に審査委員会は当初一般に下馬評の高かったピエトロ・ビアンキの案を斥けジャンアントニオ・セルヴァの案を勝者としたが、これはヴェネツィア大衆の轟々たる非難の対象となった。セルヴァを揶揄する雑言やソネット(詩)なども記録に残っている。例えばセルヴァは劇場のファサードに”SOCIETAS”(共同で、といった意味)という銘を刻んだが、これを反対派は”Sine Ordine Cum Irregularitate Erexit Theatrum Antonius Selva”(方法も秩序もないまま、アントニウス・セルヴァがこの劇場を建てた)と読み替えて皮肉った。往時における歌劇場建設がいかに関心の高いイヴェントであったかを窺い知れて興味深い。
客席規模約1500をもつこの新劇場は1792年4月には完成、5月16日にパイジエッロのオペラI giuochi d’Agrigentoにより開場した。画家フランチェスコ・フォンタネージのデザインによる美しい内装と、「ロイヤル・ボックス」的なものを廃し、174全てのボックス席がほぼ同形同大に作られているという構造が特徴的であった。
しかし同劇場は1836年12月13日深夜、火災で焼失する。導入されたばかりのオーストリアン・ストーブ(暖房機器)から出火したとされるこの火災は、鎮火までに丸3日を要したという。劇場はわずか1年で再建された。
1996年1月29日、修復工事中のフェニーチェ劇場は再び火災で全焼する。原因は補修作業の遅れにより違約金の支払を求められていた電気工事業者による放火という前代未聞の事態だった。2001年3月には、容疑者である2人の工事業者がそれぞれ禁錮7年と6年の実刑判決を受けた。予算や再建方法を巡る様々の困難のため、再建工事は2001年になりようやく開始された。
劇場は2003年12月14日、リッカルド・ムーティ指揮によるコンサート形式の演奏会をもって再開場した。
「”SOCIETAS 1792″の文字。大衆はこの銘文までセルヴァの揶揄に利用した。」・wikipedia-photo、「1837年再建時の内部。ただし1階部分の広さには明らかな誇張がみられる」・wikipedia-photo、「再々建なった劇場の内部。2005年撮影」・wikipedia-photo  (wikipedia・フェニーチェ劇場より)]

カメラ南西方向がフェニーチェ劇場です。

フェニーチェ劇場内のカメラです。

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