プーニ橋

マーカーはプーニ橋です。

プーニ橋
[かつてのデヴィッド・リーン監督の映画『旅情』の中で、キャサリーン・ヘップバーンがサン・バルナバ広場(Campo S.Barnaba)に面する運河に落ちたシーンはよく知られています。その落下直前のシーンで、その運河に浮かぶ船の八百屋が映し出されました。位置関係は映画とは異なりますが、このサン・バルナバ広場の運河に船の八百屋さんが実際にあります。
サン・バルナバ広場のこの船の八百屋さんが係留している直ぐ傍の橋は、ヴェネツィア・ガイド等にも必ず載っている有名な拳骨橋(プーニ橋・Ponte dei Pugni)で、橋の両端の上に足型が向い合って貼り込まれています。
カンナレージョ(Canaregio)区のサンタ・フォースカ(S.Fosca)広場から、北のザンカーニ通り(Cl.Zancani)にかけて架かるサンタ・フォースカ橋にも拳骨橋と同じように足型が示されてあり、ここでも西のニコロッティ(カンナレージョ区、サンタ・クローチェ(S.Croce)区、サン・ポーロ(S.Polo)区の住民)と、東のカステッラーニ(カステッロ区、サン・マルコ(S.Marco)区、ドルソドゥーロ(Dorsoduro)区の一部の住民)の間で、かつて殴り合いの競技的抗争があったのだそうです。  (「イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia) 」より)]

[サン・バルナバ運河に架けられたプーニィ橋,訳すと,げんこつ橋は,16~17世紀にかけて,大勢の市民が二派に分かれて橋の上で殴り合う「橋の上の小さな戦争」の舞台となった。ヴェネツィアの人々は,ほぼ東西に二分する地域への強い帰属意識を持っているが,その両派がいろいろな地区と職業集団の人々を巻き込み,日を決めて特定の橋に限定して,その橋を占拠するために大乱闘を繰り広げた。少なからず死傷者が出た。当時のヴェネツィアは,他都市との競争や対外戦争などで好戦的な気分が横溢しており,国内での「小さな戦争」は,対外的な発展へのエネルギーに転換する効果もあったようだ。  (「May 2012:世界の橋なみ | KAJIMAダイジェスト | 鹿島建設株式会社」より)]

カメラ西方向がプーニ橋で橋たもとで野菜売りの舟が係留されています。

プーニ橋たもと・八百屋前の360citiesです。

プーニ橋上の360citiesで二組の足跡があります。
nice”>Ponte dei Pugni (Bridge of Fists)

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