マーカーは大トリアノンです。
大トリアノン
[大トリアノンは1687年、ジュール・アルドゥアン=マンサールの設計により、 「磁器のトリアノン 」と呼ばれていた建物跡に建設されたものです。この「磁器のトリアノン」は、その前の1670年、ルイ14世(在位:1643年 – 1715年)が宮廷の目を逃れモンテスパン夫人と会う隠れ家として建設したものでした。大トリアノンは、おそらくヴェルサイユの領地内で最も洗練された建造物だといえるでしょう。
「薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿と快適な庭園」。大トリアノンの建設に非常に熱心であったルイ14世の指示に忠実に従ったマンサールはこの建物をこのように表現しました。穏やかでくつろいだ雰囲気と壮大さを感じさせるエレガントで調和の取れた大トリアノンを見れば、その魅力に捕らえられてしまうでしょう。イタリアの建築様式に大きな影響を受けたこの宮殿は、中庭と庭園に挟まれた1つの階だけで構成されており、平らな屋根は手すり(かつては子供の一団、壷、人物像などの彫刻で装飾されていました)に隠れるように設計されています。
「大理石のトリアノン」は、幾何学的で整然としたフランス式庭園で知られ、フェリビアンの言葉によれば「庭園にはあらゆる種類のオレンジの花と緑の低木が植えられて」おり、建設当初から数万本の多年生植物と球根植物に囲まれています。これらの植物は、いつでも交換できるように、そして花と香りに満ちた美しい光景を演出できるように鉢植えになっており、全体が庭園に面したこの見事な建物を、生きた装飾として彩っています。
ルイ14世の時代の大トリアノンには義妹のパラティーヌ王女、娘婿のシャルトル公爵、娘のブルボン公爵夫人が居住し、またマリー・レクザンスカもこの宮殿を好み、気候が良い時期に滞在していました。マリー=アントワネットは、この宮殿で時々芝居を上演していましたが、住まいとしては、ルイ16世(在位:1774年 – 1792年)から贈られた小トリアノンのほうを好んでいました。ナポレオン・ボナパルトは、この宮殿の修復を命じ、その後は妻のマリー=ルイーズ皇后とともに何度も滞在しました。ド・ゴール将軍は1963年、大トリアノンの改築を指示し、共和国の迎賓館として利用できるようにするとともに、「森のトリアノン」(トリアノン・スー・ボワ)と呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置させました。
トリアノンを訪れる人々は、フェリビアンの「美の女神とキューピッドたちが、最高に美しく華麗な芸術作品の中に、完璧なものを作り上げている」という言葉に納得することでしょう。トリアノンの家具調度品は革命時に散逸してしまい、現在の調度品は、いくつかの例外を除いて第一帝政期のものです。ナポレオンはトリアノンの家具調度品をすべて入れ替え、マリー=ルイーズと一緒にしばしば訪れました。 (「大トリアノン – ヴェルサイユ宮殿」より)]
カメラ西北西方向が大トリアノンです。
大トリアノン柱廊のカメラです。
大トリアノン室内展示のカメラです。
大トリアノンの庭園のストリートビューです。